早稲田大学新聞2002627()発行)

事件発生、そして少年逮捕から5年――

対談 今、再び神戸事件の真相を問う

 

テキスト ボックス:  
波紋を拡げた岩田氏の著書
五月書房 \1,600税別
1997527日,神戸市須磨区友が丘中学校正門前で、行方不明となっていた土師淳君の頭部が発見された。猟奇的殺人を思わせる事件が全国に衝撃を与えるなか、628日、ついに犯人逮捕が発表される。14歳の中学生A君。だが、直後からこの少年を犯人とする発表を翻す事実が次々と明らかにされる。「少年Aは犯人ではありえない」という声(編者による追加資料T)は全国にこだまし始める。

しかし同年1017日、物証もなく「自供」にも数々の矛盾を抱えたまま、A少年は「有罪」とされ医療少年院に送られる。今回、神戸事件をめぐる報道の問題点を考察し、そのあり方を告発してきた「神戸事件と報道を考える会」の会員より、A少年の通った友が丘中学校元校長・岩田信義さんと、現在のマスコミ報道の問題を鋭く指摘する同志社大学教授・浅野健一さんの対談の抄録をいただいた。事件から5年、神戸事件の問題点を改めて考えるためにここに掲載する。なお対談は2001725日に大阪でもたれ、司会は「考える会」の川崎章氏がつとめた。

【編集部】

 

神戸事件で巨大マスコミは、自殺した

司会: 今日は岩田さんと浅野さんのはじめての対談ということで、自由にお話していただきたいと思います。岩田さんは『校長は見た! 酒鬼薔薇事件の「深層」』という本をお出しになり、大きな話題を呼びました。いくつかのマスコミや週刊誌がとりあげましたね。

岩田信義元校長(以下岩田): ええ。文化放送とフジテレビ、それからテレビ朝日ですか。テレビが二局、ラジオが一局。それから週刊誌が三つですね。

司会: 友が丘中学校の校長さんが神戸事件について発言され、マスコミを告発するとともに渦中から見た神戸事件を語られてということで、非常に大きな反響を呼んだわけです。

浅野健一教授(以下浅野): 先ほど岩田さんと一緒に、大阪池田小学校の事件現場に行ってきたんですけど、最近マスコミの集団取材が大きな問題になっている。毎日新聞なんかはスクランブル取材と呼んでいるんですけど、これはマスコミの集団的な暴力です。それでまず、神戸事件のさいのマスコミの集団取材のお話からお聞きしたいのですが。

司会: 酒鬼薔薇事件の時、マスコミは1000人ぐらいがあの友が丘の小さな住宅地に殺到しました。

岩田: 警察もものすごい数でしたよ。だいたい見える範囲に必ず一人はお巡りさんがおるみたいな感じでしたからね。曲がり角のところで立っとる、また100mぐらい行ったらまた立っとるというようなかたちで、ものすごい数でしたね。

司会: まるで戒厳令下の街ですね。

岩田: おまけにパトロールもしている。学校も協力せなあかんということで、学校の中に警察がテントを建てて、捜査の人たちが棒を持って出て行き、草むらを捜してました。「お茶だけ頼んます。あとは全部自分でします」と言うので、学校でお茶を沸かして差し入れした。捜査の人は、時々帰ってきて休んで、また出掛けていく。ああいう人を含めますと何人ぐらいでしたかね。とにかくものすごい数でしたね。

司会: そんななかで6月に入るとすぐに、「黒いゴミ袋を持った不信な30歳代の男」や「黒いブルーバード」が目撃情報として浮上してきます。しかし朝日新聞は、はじめから「学校への恨みにもとづく犯行」という論陣を張っていました。事件直後の「朝日新聞」5月29日付朝刊では早くも、東京都中野区の教育委員をつとめたこともある評論家の俵朋子や犯罪心理学者の小田晋を紙面に登場させて、「学校に何らかの恨みがあるのではないか」「『聖斗』とは(学校への)『聖なる闘い』を意味するのではないか」などと書きたてました。

岩田: はあ、はあ、はあ、ありました。心理学者の小田晋…。

司会: 今から思うと、朝日は、その後のマスコミのまるで火砕流のような「学校バッシング」の先鋒の役割をあえてつとめた…。

岩田: それは、そう考えれば考えられなくもないなあと思いますわ。

 

警察が発表すると一挙に「犯人=中学生」に(浅野)

学校は「朝日は鬼門」だと感じていますよ(岩田)

 

浅野: A少年が逮捕されて、その夜のTBSの『ニュース23』、大阪では毎日放送ですよね、あそこで斉藤茂男さんと鎌田慧さんと、香山リカさんだったかな、三人か四人ぐらい出てきて、やっぱり完全に教育の荒廃、学校制度の問題という話になったんですよね。これを見ていてね、えーと思って。さっきまで中年の男が犯人だったのに、警察が発表すると「中学生だ」と。一挙にそういう話に変わってしまったなぁと思った。いま話に出た「朝日新聞」を中心にしてそういう世論が形成された。見ていてすごく怖いと思ったんですよ。

岩田: あの事件に限らず、学校は「朝日は鬼門」みたいな感じを誰もがもっていますね。何かあればとにかく学校の責任みたいな形でつつかれると、誰も皆そない言うております。

浅野: 今回は、悪い方へ向けているんですね、朝日は。自分で取材しないで、自分でストーリー描いて、それにあてはめて書いている。「学校が悪い」と言うと、誰も「それは違うんじゃない」と文句言わないじゃないですか。

岩田: そうですね。関係者は文句をいえばもっと悪いことを書かれると恐れるし、第三者はそうかと思ってしまう。

司会: それでA少年が逮捕されたのが628日ですが、凄まじい学校バッシングの嵐のなかで、74日に岩田さんは、北須磨団地自治会館で記者会見を行いましたよね。

岩田: えーえー。保護者会の後ですね。

司会: そこで100人以上の記者が、「少年Aを犯行に走らせたのは、学校だ。少年に体罰を加えて『学校に来るな』と言ったからだと、「少年の供述」という警察情報をふりかざして一斉に学校側を吊るしあげようとしました。ところが岩田さんは、「捜査本部は『体罰を受けた』という少年の供述があったことを、私達には言っていません。少年は本当にそう供述しているのですか?」と、並みいる記者たちに逆に質問しましたね。それで会場は水を打ったように静まり返りました。「なんだ、警察は学校には言っていないのか…」の呟きがあちこちから洩れました。

岩田: 私は、体罰があったとする少年の供述が警察情報だとは思っていません。それに、体罰がなかったことは最初の記者会見でも話しております。それから、七月二日ぐらいからA少年の弁護士が「A少年本人と接見してみたら、報道されている内容と違う部分がいっぱいある」と言い出したわけです。それでまあ、ちょっと雲行きが変わって、七月四日に保護者に説明会を開いたんですけど、三日の新聞にそれが載ったのを見て来た保護者がいっぱいおったんで、助かったわけですわ。

司会: 神戸事件では、巨大マスコミのすべてがさまざまの虚報を流しただけでなく、誤りだとわかっても訂正しませんでした。虚報を流しっぱなしにするというのは、あきらかにひとつの犯罪だと思うのです。たとえば、「学校の体罰」という事実が、あたかも存在したかのような・そしてA少年のあたかもこれを供述したかのような嘘を流すことは、A少年には「学校への復讐」という「犯行の動機」があったこのような虚構を捏造することになり、これを社会に浸透させことになります。虚構の事実を基礎に虚構の「犯行動機」を捏造し宣伝することは、記者たちが自覚すると否とにかかわらず、そのまま「犯人」をでっちあげていくことに直接つながっています。

しかし、今日の記者たちに、その自覚があるかどうか…。

岩田: そうですね。

司会: 「体罰をあたえた学校への恨み」という「A少年の犯行の動機」説は崩れてしまった。しかし、どうしても「犯行の動機」は必要です。そこで次に捜査本部は、A少年をホラー・マニアに仕立てようとしました。「ホラー・マニアの少年が映像の世界だけでは満足できずに、衝動殺人に走ったのだ」と。ところが、マスコミはまたもや性懲りもなくこの警察のリークに追従しました。「『13日の金曜日』というホラー・ビデオが押収された。アメリカの連続殺人犯ゾディアックに関する本も押収された」と。しかし、ついに715日のA少年再逮捕時の記者会見で、捜査一課長が「それらを押収した事実はない」と自白せざるをえなくなった。そうすると今度は「祖母の死を契機に『死とはどういうものか』という関心をもち、小動物の殺しから殺人に欲望がエスカレートしていった」ことが「殺人に動機」だとされました。しかしこれも結局は、「犯行と祖母の死とのつながりは不明」というように、家裁の決定では否定されたのです。犯罪の立証に不可欠とされる「犯行の動機」が3段階もくるくると猫の目のように変わって、結局うやむやにされてしまった。しかし記者はそういうことを自分で書いておきながら、まったく頓着しない。

岩田: これはほんとにそのとおりですね。ただ前後関係は朝日だけをみているとそうなりますが、読売や毎日は、朝日が「体罰が動機だと供述した」と誤報したと同じ日に「魂を出してあげる」というようなオカルト風な動機を供述したと書いています。それに読売、毎日は一般的な学校への恨みは報じましたが、体罰があったとは書きませんでした。だから、マスコミと一括りにするのは無理があるようです。

司会: 記者は、自分が見たことと、噂や警察のリークとの区別もない。「これは誰それから聞いたこと、しかし本当に現実の事実そのものだろうか」という疑問をもたない。いわんや、論理的に推論することなどまったくできない。これも虚報乱造のひとつの根拠だと思います。私は神戸事件で、日本の巨大マスコミは自殺したと思うのです。

浅野: 神戸新聞の場合には、記者が、数字ははっきり覚えていないけれど6人か8人か辞めているんですね、この事件のあとに。

 

オウム以降、朝日新聞は完全に変わった(浅野)

学校を休みがちの者を調べろ、と…(岩田)

 

岩田: ああ、そうですか。

浅野: 辞めた理由は、警察に振り回されたということと、先ほど言った中年男からA少年にと、なんの説明もなく変わってしまうということね。それから松本サリン事件の時に取材した人もかなり辞めています。というのは、今みたいな取材のしかたをしていると、同じことがまた起きる、間違いなく。つまり何か事件が起きると、たとえば警察は犯人を捜す。それと一緒になってマスコミも犯人捜しをしている。ほとんどは警察の情報を鵜呑みにしている。自分の取材したものをそれに付け加える。デッチあげる。そうして完全な捏造、誤報、そういうものが一杯起きざるをえない。だから神戸新聞としては取材の仕組みを変えるべきだ、具体的に言えば、私が言ってきたような匿名報道方式が問題だということです。権力犯罪や、公人による公的な犯罪などの犯罪嫌疑や不適切な行為は、きちんと被疑者の名前を出し、書く方も名前を明かにし、ニュースソースも明らかにする。正々堂々と勝負する。弱い市民の人たちが捕まったりした場合には急がない。冤罪づくりには加担しない。そういうやり方を私は1980年から提唱しているんですけど。

朝日は世論を「暗い森へ」と誘った

司会: 朝日は神戸事件の報道において、誤報と捏造記事とによって、世論を巧みに「暗い森」(資料E最終行)へ誘ったと思います。それはさきほどの「学校バッシング」の件だけでなく、他にもいっぱいあります。たとえば、例の「バモイドオキ神日記」(資料B)。これは朝日だけが真っ先にリークしたんですが、神戸新聞社に届いた第二犯行声明と「字体が似ている」などとデタラメを書いた。犯行声明は「は」という字の右下に点を付けるのが癖なのですが、「バモイドオキ神日記」にもそれがあった、と。ところが、後に『フォーカス』に載った写真を見ると、そんな点はまったくないんです。また、バモイドオキ神の絵についても、例の風車のようなマークを書き入れて偽造した。さらに、「懲役13年」が公表されたあとには、A少年には「直観像素質があった」という宣伝をやって、あたかも少年が引用のつぎはぎで書いたかのような雰囲気をつくった。朝日は「A少年=犯人」説を、一貫して勢力的に流布しつづけたのです。

 ここでひとつ、ものすごく奇妙なことはですね、A少年が逮捕されたのは6月28日なのですが、そのずっと前の6月はじめ、まだ神戸新聞に犯行声明が届く前に、朝日は次のような犯人像を描いてみせているんですね。「犯人は17歳からどんなに歳がいっても23歳。学校の周辺地域に住んでいて、歩いての犯行。メッセージの内容は、若者の犯罪者が使う手で、本の文章や言葉から影響を受けたもの。子供時代から動物をいじめたり、殺したりすることに慣れている。三月の通り魔事件と男児殺害は同一犯。発作的に起こした通り魔事件が容易に達成できたことから、次の段階として計画的に犯行に及んだのが男児殺害だ。学校をやめたりトラブルをおこした生徒がいなかったかどうかを調べるべきだ」。これはアメリカの凶悪犯罪研究者ロバート・レスラーの発言を朝日が紹介したものですが、淳君事件発生の直後にここまで「犯人像」を予言できるなんて、あまりにも不思議です。

浅野: 朝日はそれを載せているんですか。

司会: ええ、そうです。不気味なくらいに、ピタリと的中している。私には、「A少年逮捕」の筋書きがあらかじめ全部出来あがっていたんじゃないか、と思えてならないんです。

岩田: 警察は、学校休んどるのなんか、とうの昔から調べておりましたよ。とにかく学校休んでる子おらんか、卒業生のなかでも学校休みがちだった生徒はおらんか、最初は3年前の卒業生、5年前の卒業生、そのうちに十何年前の卒業生まで調べてくれ、というかたちで、もちろん事件が起こったあとからですが。

司会: そして神戸新聞に犯行声明が届くと、警察は学校に生徒の作文を全部出させた。

岩田: それも「作文出せ」と言われて、こちらも半分観念した。まあ寝耳に水みたいな感じで…。

浅野: それは、A少年の逮捕後ですか。

岩田: いやいや、それは逮捕の前です。逮捕の前「生徒の作文を全部出してくれ」と言われて、「ああひょっとしたらうちの生徒が、ひょっとしたらあいつかなあ」みたいな。

司会: 警察が学校から作文を取り寄せたのは、65日ですね。64日に神戸新聞社に第二の犯行声明が届いています。そして翌5日には、学校に「作文を出せ」と言ってきている。この経緯は秘密のはずなのに、朝日だけは経緯を書いているのです。ちょっと話がそれるかもしれませんが、『文藝春秋』の20016月号で森下香枝というジャーナリスト、例の両親の手記『「少年A」この子を生んで……』を出した記者ですが、その森下がこんなことを書いています。「兵庫県警は当時、2百人体制で捜査にあたったのだが、その中の『特命班』に科学捜査研究所の幹部らが配置され、密かに『犯人ついての考察』と題された“プロファイリング”報告書を作成している。科捜研がプロファイリングを依頼したのは、犯罪病理学、臨床心理学、比較言語学の国内専門家と、元米国中央情報局職員など海外の専門家ら6名である(マスコミには一切、登場していない)」、と。A少年の逮捕後、捜査員からも「本当に少年が犯人なのかという疑問が、今でも残る」という声があがっていましたが、神戸事件では二重構造と言いますか、一般の捜査陣とはまったくちがう特命班なるものがつくられ、この特命班はA少年を追って動いていたというのは、確かな事実のようです。

岩田: それはその通りやと思いますわ。あのね、私ども、捜査本部の末端の人とは話したことはあるんですけれどね、「なんかわしらと別にもう一つの捜査本部があるみたいな気がした」、そない言うてました。現場の一番下の、端くれの捜査本部員やったんやろうと思うし、その人のヒガミかもわかりませんけどね。そんな気した言うてる人がおりましたわ。

司会: 朝日はかつては「日本のプラウダ」だなんていわれていました。しかし、神戸事件では、警察と完全に二人三脚。そもそも朝日が連載した「暗い森」では、警察や検察から捜査資料や精神鑑定資料などを貰っていたということを、平気で書いています。「調書とか全部貰った、夏頃からどんどん貰えるようになった」ということを恥ずかしげもなく書いているんです。「赤報隊」による「反日分子抹殺」のための朝日新聞神戸支局銃撃事件――どうもあのあたりから朝日は権力にすっかり従順になったんじゃあないか。

浅野: いま朝日がそういうふうで…。昔はね、読売や産経がトバスってよくいわれていたんですけど、オウム以降でしょうかね。朝日は完全に変わりましたね。

司会: オウムからですか。1995年ですね。

浅野: ええ。95年ぐらいですね。それまでの朝日新聞の事件報道というのは、上品にやろうというかね。私の言うこともよく聞いてくれていたんですけど。もう、日本の治安を守れというか。もっと言えば阪神支局襲撃以降ですか、政治的にはそうかもしれません。社会部のあるいは朝日の記者の体質も大きい。「国家公務員一種報道職」とか呼んでいるんですけど(笑)

岩田: ああいうのはなんで変わるんですか? 編集局長ですか、社会部長あたりの体質ですか?

浅野: 新聞社のもっている体質としては、朝日はやっぱり官僚体質ですね。会社を、朝日を、あるいは日本をしょって立つというか。よく中山千夏さんなんかが、朝日の記者・NHKの人は日の丸をしょっていると言ってましたけど、会社をしょっているというか。

岩田: やっぱりあれですかね。マスコミ志望者の中でやっぱりトップクラスというのが入っとるいうか、東大卒とか。

浅野: そうです。東大卒で一番多いのが朝日新聞です。事件取材にものすごく力いれているんですね、朝日新聞は。若い記者がなんで評価されるかというと、よそでは書いていない記事でとなる。結局、特ダネですね。結果的に間違えることがあっても、評価されればいい。そうすると、人とちがう結果を出すためには、なにやってもいい。みんな優秀な作文能力が高い奴がおおいですから、ごまかし方もうまい。そういうのが相乗効果になってこういう記事になるんでしょうね。非常に残念ですよね。

司会: とにかくマスコミは、「社会の木鐸」としてやるべきことをやらない。マスコミが国家に追従し、知識人や学者もまたその後塵を拝するとなると、これはもう「鉄の六角錘」です。戦前のあの「いつか来た道」と同じです。一昔前には、松川事件(資料A)の広津和郎のような気骨のある作家がいた。広津さんも最初は、松川事件は「共産党の思想犯罪」という巷間流れる説をそのまま信じていた。ところが、獄中で容疑者たちが書いた『真実は壁を越えて』という文集に触れて、この冤罪の叫びは嘘ではないことを見抜く。そして全身全霊をかたむけて真相解明にのりだしていく…。こういう広津さんのような人が、こんにちのジャーナリズムの中にいなくなってしまった。こんにちのマスコミというのは、権力に対しその乱用を監視するどころか、逆に権力につき従って世論を誘導していく機関になりさがっている。これはものすごく危険なことじゃないかと思うんです。実際、あの神戸事件以降、国家はやりたい放題になっています。少年法は改悪される、教育は国家主義丸出しのものに変えられる。日米ガイドライン法は成立させられる、銀座には戦車がまかり通る…。

浅野: 国旗・国歌法もそうですね。

渦中から見た神戸事件

司会: ところで岩田さんは、事件の渦中におられて、先生やPTAを指揮したり、情報を集約したりする立場にあったんじゃないかと思うのですが。そこでお伺いしたいのは、渦中から見た酒鬼薔薇事件というものは、どんなだったのですか? 例えば、527日には延べ数百人がタンク山のアンテナ基地を見ているが、淳君の胴体はなかった(資料C)ということを、『校長は見た…』という本のなかで書いておられますが。

岩田: 集約というわけでもないんですが、いやもっと最初から話しますと、あそこは自治会活動が非常に盛んな地域で、何かあるとすぐに自治会が動き出すんです。

浅野: 何という名前の自治会でしたか?

岩田: 北須磨団地自治会です。ものすごくよく動く、まあ私は日本一じゃないかと思うんです。

浅野: その北須磨団地の自治会というのは、先生の学校は全部入っているわけですか。

岩田: いえ、校区の一部です。校区の一部の団地にそういう自治会がある。この神戸事件の舞台は、被害者も加害者もどちらも自治会員です。

司会: それで淳君が行方不明になった時に、自治会総出でみんな懸命に探したわけですね。

岩田: そうそう。だから何かあるともう、行方不明になったという日から、うわぁーっとものすごく大勢の人が出て探す。それもたんに大人だけでなく、親が子供をつれ、中学生なんかをも連れていっとる。そういうところなんです。

浅野: 岩田さんも探されたんですか。

岩田: いえ、私は直接には参加していません。あれは、二日目ですかね。三日目になるんかな。うちのPTAも協力しようとなった。うちの学校にはもう一つの南落合小学校からも生徒がきていますから、PTAとなるともう両方あわせての話です。で、多井畑小学校のPTAがあのタンク山の周辺を探しとるんで、もうひとつ外側の部分を中学校のPTAは探そうということで、雨の中を傘さして出かけられた。それを私は「ご苦労さん」と言っておくりだしました。しかし、自治会が動員をし小学校のPTAが動因し、警察も動き出しとるから、述べ何人ぐらいの人数が出ているか、正確には分かりませんけど…。

浅野: それに警察犬もね。

岩田: 相当の人数が出とると思うんです。

浅野: 真っ先に見つけそうですけどね。

岩田: はい、まったくおかしいと思うんですけど、なぜ見つからなったかと言うことはわからない。

浅野: 岩田さんが考えておかしいことって、どのへんですか? 順番があるとすれば一番おかしいと思うことは?

岩田: 一番おかしいと思うのは、私もタンク山に登ってアンテナ基地を見て、床下の遺体があるのが見つからない事はなかろうと思うんです。探しに行っとるわけですからね。なんとなしに行ったんなら、それは通り過ぎるかも知れませんが、探しに行きゃあ覗く人もいるんと違うかと。

司会: ちょうど目の位置ですしね。

岩田: だから、それはおかしいなあと思います。しかしそれも、要するに、作為の問題でなくて、不作為の問題ですからね。おかしいとは思います。しかし、誰も覗かなんだのやと言われたら、それだけの話になる…。

浅野: おかしいと思うことで、あとどんなことが?

岩田: それから先ほども話になった「懲役13年」という文章ですね。たぶんあの子には書けんやろうと…。

司会: A少年は国語が苦手で、成績は1か2なんですよね。「パッチワークで書いたんだろう」などと言う人がいますが、とんでもない。そう言う人は、論理的な思弁の力というものについてまったく無知であることを、自己暴露している。

岩田: ええ、だから書けないだろうと思うんです。だけども、警察はそれを何のために出してくるのかと逆の立場から考えるとね、分からないことがでてくる。「おかしいな」とは思いますが。

司会: 神戸新聞社への犯行声明文もですね。

岩田: そう、それもね。

司会: A少年の供述調書によると、神戸新聞社に送りつけられてきたいわゆる第二犯行声明、あれをたった一時間か一時間半で書いたことになっている。国語は5段階ですね?

岩田: ええ、5段階です。

司会: それでA少年の成績は1か2ですね?

岩田: そう、あまりよくなかった。

司会: 2ですよね。両親もそう証言している。

浅野: あと、どんなことがありますか?

司会: 事件の半年くらい前に、ホームページで「酒・鬼・薔薇」という文字を見たという岡山のパソコン教室経営者。彼には、直接会って取材されたんですか。

岩田: ええ、あれはまあ、本をかくためにとってつけたようなことなんですが…。

浅野: 頭部を学校の正門に置いた時間のところがね、私は一番おかしいなと思うんですよね。調書だと未明の一時ごろにひとりで…。

岩田: ええ、そのへんはねえ。

浅野: 最初に目撃した人の話からすると、頭部の位置は移動していた(資料D)と。

岩田: そのへんも、新聞記事なんかとちがうからおかしいなとは思います。しかしこれは、私自身が体験してその実感として「おかしいな」と思う部分ではないわけですね。血痕も見ていませんし、後から記事とかと比べてみると矛盾があるからおかしいなと思うことで、私の範疇ではない。私は、自分が感じて自分の頭で「おかしい」と思うことを書こうと思っているんです。

浅野: さっきマスコミが解明すべきと言われましたね。マスコミは自分達で、時間を特定しているわけじゃないですか、頭部を置いたのは5時何分とか、ところが検察調書が出てきて、それよりも4時間も早いわけでしょ。

岩田: それは、そうですね。

浅野: それから頭部の置かれていた位置も動いていますよね。あと、塀の高さの問題もありますね、身長が170センチくらいないと簡単には置けない。

岩田: それらは「おかしい」といわれたら、確かにそうだと思います。要するに、いろんな資料を当ってみれば確かにおかしい。しかし、先ほども言いましたように、そういうのは私の範疇ではないことにしておこう、と…。

浅野: 「懲役13年」(資料E)とかは、とても彼にはかけないと言うのは実感としてある?

岩田: それは「書けない」というのは実感ですわね。それは何も証言できることではないが、私自身が感じることです。

浅野: それは私なんかも、卒論とかみていると、此れは明らかに先輩に書いてもらったというのは、わかるんですよ。その子の文章でないと。一年から知っている子でしたからね。呼びつけたら自白しましたけどね。「書き直せ」と言ったら、もともとの彼女の粗末な文章を出したんで「これでいいんだよ」と合格にしてやりましたけど。人に書いてもらってはいかん。明らかにこれは、ちがうとわかるじゃないですか。

岩田: それはそうですね。ほかにおかしいのは、例えば首を切った糸鋸の話(編者による追加資料V)ですね。なんで糸鋸が金鋸になったんやと。私自身も最初から糸鋸なんかで首が切れるんかと、これずっと思っとったんです。此れは私自身が、鶏の首をちょんぎることで自分でも実感しているわけです。鶏というとかなり細長い首ですが、ましてや人間の首は短くて太い。そんなものを切るのは、それは大変やと。ただ第三頚椎がどうのというのは、私にはわからない。私の実感としては、そんな糸鋸で人間の首を切ることなんかできへんやろと。金鋸でもどうかなと。それは私の実感だから、本にも書いたんです。私が実感的に感じたことだけに絞って、本は書いとるわけです。ところがいつの間にやら、糸鋸が金鋸に替わったんやけども…。

浅野: 野口弁護士ですか、「大人の犯罪だったら絶対に無罪なんだ」といったのは。変な話ですよね。犯罪には、本当にリーズナブルな理由、疑いを差し挟むことができないほどの信憑性が必要なのにねえ、刑事事件では。それがA少年の犯行だということになって、それで社会的にも断罪され、司法的にもそうなっている。そういうことに、ちゃんと疑問に応えるために裁判があるはずなんですが…。それから首の切断だって糸鋸で切ったかどうかとか、大人の場合は必ず鑑定しますよね。弁護士も実験してみたりしてね。

司会: 少年の供述調書では「糸鋸で切断」となっているのに、池から金鋸を引き上げてきて「証拠が見つかった」では、お話にならない。むろん、ルミノール反応も検出されていない。当時、久米宏が「こんな金鋸、日本中の池に1000くらいあるんじゃないか」などと茶化していましたが…。警察がまだ自我の未確立な中学生をなだめたりすかしたりしつつ誘導尋問して、思い通りの「供述調書」を作ることなど、朝飯前なんですね。

A少年の筆跡と犯行声明の筆跡は一致しなかった!

浅野: あと、重要なのは、筆跡鑑定ですね(資料@)井垣裁判官の異例の決定文の要旨(編者による追加資料U)の中で、少年が「僕はやってません。物的証拠はあるのですか」と聞いたら、取調官が捜査ファイルを見せて、「筆跡が一致したんだ」、と。それで彼は泣いて自白した、と。そう井垣さんは書いていて、それは違法な取調べだったんだ、と言っている。そして、警察調書はいっさい採用しないで検察調書だけを採用し決定した、と井垣さんは言っているわけですけども、筆跡鑑定については、学校側に問い合わせかなんかあったんですか?

岩田: 警察がA 少年を逮捕した後でも筆跡鑑定をしたことは確かやと思います。あれはA少年が逮捕されてからだいぶたってやったと思いますけども警察は「彼の書いたのを出してくれ」、と言ってきたわけですよ。「何でもいいからと」。そうは言うてもねぇ、学校というのは、生徒に何かを提出させたらそれに少なくとも評価をして返さないかん。学校に留めとったらいかん、無責任やというわけですわ。簡単に言いますと、丸をつけて返すとか、点数つけて返すとか、添削して返すとか、そういうことをせないかん。昔は提出させっぱなしでね、放っておいても済んだんですけども、今そんなことをしたらいろいろ非難を受ける時代になってるんですわ。だから私も「提出物を集めたら、すぐ評価して返せ」と、そのように先生に言うとるわけです。だから先生は「そんなん出せ言われても何もあらへん、全部返しとる」、とみんな言うわけですね。すると警察は「それやったら、今度いっぺんガサ入れさしてもらうで」、と言う。「学校のなか探されたら困るで」「なんかないんか」と、学校の中ですったもんだしたんですね。やっと担任が思いあたってね、なんかその、年度の初めの決意か何かを書いて、教室の後ろに貼ってるいうことを思い出したわけですわ。ほんで、それを出して、やれやれと。ほんまにやれやれなんですわ。そういうことをしとるから、筆跡鑑定したことは間違いないと思います。

司会: それは葉書ですか? ちょっとした絵が書いてあった?

岩田; 葉書ではなく、まあ小さな色のついたような紙にね、自分でなんか形を切ったりね,例えば魚の形に切って、魚の絵の中にメッセージを書いたとかね。そんなような工夫したものを四月のはじめに、生徒全員の分を教室に貼っとったわけです。ところが担任の先生はそんなこと忘れてしまって、作文とかノートとかそんなことばっかり頭にあって、「いや、なんもありません」言うとったわけです。

浅野: 担任の先生は、何歳ぐらいの方なんですか。

岩田: 五十歳前の女の先生ですわ。男の先生だとあまりそういうことはしないが、女の先生は割合、こまめにそういうことをするんです。

浅野: それを警察が持っていったんですか?

岩田: そうそう、そうそう。

 

少年には「懲役13年」などはとても書けないと感じる(岩田)

警察の違法な取調べで少年が自白したと知り驚いた(浅野)

 

浅野: 校長先生は、そういう時は何かサインとかするんですか?

岩田: そうですね。なんか一筆書いてね。「これについては返していただく必要はありません」とか、そうしたことを書いて、判を押したものを提出して、持っていきました。

浅野: それが勝手に使われたんですかね。

岩田: ん、それはまあ「貸して」と言われて、出したんです。

浅野: 家からも持っていったんでしょうかねえ。

岩田: 家からもいろいろ持っていっとると思いますけど、それはわかりません。

司会: しかし、それらの筆跡は犯行声明の筆跡とは、まったくかけ離れていた。

浅野: 井垣さんの「家裁決定要旨」は、新聞で見て初めて知ったんですか?

岩田: ええ、新聞で…。

浅野: 「決定要旨」を読まれて、筆跡鑑定のくだりについてはどう思われました?

岩田: いや…あれはなんか指導主事がどっかから手に入れてきて、学校に届けてくれたんです。思い出しました。

浅野: 現物ですか?

岩田: 現物ではなくコピーですね。「決定要旨」をプリントして配るかなんかしたんでしょう。それのコピーを指導主事がどっかから、たぶん教育委員会から貰ってきたんでしょうね、それを読んだのだと思います。

浅野: その筆跡鑑定のくだりのところは、驚かれたんですか? 警察・検察が嘘をついてA少年から自白を引き出した……。

岩田: ええ、たいへん驚くという感じとは、ちょっとちがいますが。

浅野: 井垣さんの「家裁決定」によると、兵庫県警の科学捜査研究所が筆跡鑑定した結果、「一致しているとは判断できない」、という答えが出た。にもかかわらず、「一致した」と嘘をついて、それを少年に伝えて、それによって少年は自白した、と。だから警察の取り調べ方は偽計、違法である、と。従って証拠採用できない、と。私なんかそれでびっくりしたんですけども。こんなことを裁判所が言う自体が、普通の刑事裁判ではあまりないことですからね。

岩田: それやったら弁護士がなんかもの言うやろと、私はその方が先に頭に浮かびましたね。

浅野: 弁護団は以前にそれを知っていて、審判でも「調書を証拠から排除せよ」という意見を一度は出していた。本人も「騙された」と訴えていた、という。このことについて、産経は割と大きく書いていた…。

岩田: 私、どの時点で知ったんでしょうね。要するに、ごまかして自白させたということを私が知ったのは、「決定要旨」が開示された時ですかね。それとももっと前に聞いとったんですかね。そのへんは今はちょっと自信ないです。「決定要旨」を読んでもそんなに驚いたという気がしませんでしたから、そのことからすると、前もって知っていたのかもしれません。

浅野: 私もそのへんは知っていたんですけど、裁判所がそれを認めたというのがね、しかも警察の取調べを違法だということで全部証拠採用しませんというのがね、びっくりしたんです。こんなことは、私の記者経験のなかでもなかったことなんですよ。

岩田: 私は、そういうことだったら弁護士がなんでもっと動かんのやと思った記憶があります。弁護士が動かんということは、たとえば親の方が納得してしまって「もう何もせんでもええわ」「もうこれ以上やってくれるな」と言うたというようなことがあったのかなあ、よく分かりませんが、それしか考えられないなあ…そういう気がしましたね。

浅野: A少年のご両親とは、事件後接触あったんですか?

岩田: いえ、直接あって話したことはありません。電話で話したことはありますけど。

浅野: 電話で? それはいつ頃?

岩田: いつ頃と言われろとはっきりしませんけど、「ご迷惑をかけました」いうような…。

浅野: 電話がかかってきたんですね?

岩田: そうです、はい。それでね、それから後も直接こちらから電話はかけられない。教育委員会を通し、教育委員会が弁護士を通して、それで親と連絡をとる。まあ、そういう風なことになっていたんです。

浅野: A少年のご家族は、その後はどこにいらっしゃるのか?

岩田: 『週刊文春』記者の森下香枝さんがつきとめたのか、『文藝春秋』がつきとめたのか、それは知りませんが、両親の所に森下さんが行って、話しを聞いて文章にして、それを『「少年A」この子を生んで……』と言う本にしたということですわ。どないして見つけたんか、私も知りません。よう見つけたな。誰がどうやって見つけたんか、知りませんけど。

 

弁護士はなぜもっと動かないか(岩田)

調査を基礎に、推論し、真実に迫る(司会)

 

浅野: 僕は両親の居場所は絶対警察から出ていると思う。

司会: そうです。そのいきさつはこうです。警察は当時、ご両親をかくまっていました。ですからご両親の居所を知っていたのは、警察はもちろんですが、あとは神戸事件の対策協議会代表の羽柴修弁護士などごくわずかです。この羽柴弁護士が、『週間文春』編集長・松井清人、同担当記者・森下香枝としめしあわせ、森下香枝の取材に応じ手記を出すように両親を説得したのです。もちろん警察の許可のもとにです。

岩田: 羽柴弁護士が教えた?!

司会: ええ。羽柴弁護士の考えは、要するに、どこかに公開しなければいつまでもマスコミから両親を隠し続けないといけない、それではいつまでも自分たちが世話しなくてはならない…ということです。

浅野: それは間違いないんですか。

司会: ええ。当時ご両親には、損害賠償の民事訴訟が起こされ、1999311日の判決で一億円余の賠償金を支払うことが決まっていました。そこで彼らは、「本の印税を賠償金の支払いにあてるしかない」と両親を説得したのです。もっとも、発刊されたこの本は「父と母 悔恨の手記」などというサブタイトルが付けられているにもかかわらず、よく読むと、A少年を偽計を用いて犯人にしたてた警察と弁護活動を放棄した弁護団への「告発の書」となっているのですが…。

浅野: なるほど。…ところで岩田さん、全体的な印象として、あの犯行が少年一人で出来るのか、それとも少なくとももう一人は別の男がいる――たとえば最初に出てきたような黒いゴミ袋を持った30歳代の男とか黒いブルーバードの男とか――そういう別の犯人が介在しているとか、さらにはA少年はまったく無関係で何者かによるきわめて組織的で計画的な犯行であるとか、そのあたりはどう思われます?

岩田: どう言ったらいいんでしょうね。「まったく無関係だ」とは言いきれないが、そうかといって「彼がやった」とも、言い切れない。つまり、「少年が一人でやった」というには絶対におかしいなと思うけども、逆の立場から考えた時に、もし冤罪をつくるのならこんなけったいなことをするだろうかと思う所がいろいろあって、どのような方向にも言い切れなくなるんです。だから「そのへんをはっきりさせるのがマスコミの仕事やろ」と言いたいんです。「少年が犯人」というにはきわめて疑問に思うけれども、事実をもって「ちがう」とも言い切れない。そこをマスコミがはっきりさせてくれ、と言いたいわけです。

浅野: そのへんは、僕とよく似ているんです。全体が完全に謀略という意見にはちょっと賛成しかねる…。

司会: そのあたりは、事実と推論と真実という難しい問題につながっているような気がします。マスコミに期待するのではなく自分自身で真相を究明しようとするなら、私たちはまず、与えられた条件のなかで動かしがたい諸事実を収集するしかない。そして、私たち自身が調査してつかんださまざまの事実を基礎にして懸命に推論し、真実に迫るしかない。また、そういうふうにしないと、実際は何を調査したらよいのかも分からないことになると思うんです。

岩田: だからこの事件を調査した団体はマスコミの代わりをしとるなと、それはそう思うんですよ。これが本来はマスコミがやらなければならないことだという気はするんです。ただやはり、たとえば「懲役13年」(資料E)ですが、なぜあんなものをわざわざ出してきたのだろうという疑問は、どうしても解けないのです。

「懲役13年」はパッチワークでは書けない

司会: なぜ「懲役13年」のようなものをわざわざ出したのかという疑問はあるにしても、問題はあれが少年に書けるかどうかであり、その判断こそが核心だと思うのです。たとえば朝日は、少年には「直観像素質」があったからパッチワークで作れた、というように宣伝しました。そして大多数の知識人諸氏が、「ああ、そうか」ということで、一件落着にしてしまった。岩田さんのように「少年には書けない。校長の私にも書けない」とおっしゃる方はまだまだ少ない。だが、「パッチワークで作れる」と言う人は、人間の思弁力というものについてきわめて浅い理解しかもっていないことを、みずから証明していると思うのです。仮にあの文章には、「100パーセント素材があったと仮定してみたとしても、やはり中学生には書けないと私は思うのです。しかしまずは、はたしてあの文章は、あれこれの文章のつぎはぎで作ったものかどうか?

浅野: 「懲役13年」の最後に出てくるダンテの『神曲』からの引用――あれは壽岳文章さんの訳ですか?

司会: そうです。『神曲』の訳本はほかにも岩波文庫など三つくらいあるのですが、壽岳訳とは似ても似つかないくらいちがっています。そして、この壽岳訳は、私たちも神戸市内中の書店や図書館にあたって探してみたんですが、見つけるのが大変だったんです。

浅野: この壽岳文章さん訳の本、どこで手に入るんですか?

司会: 神戸市立中央図書館にだけありました。

浅野: これは今、市販はされているんですか?

司会: 市販されてはいます。でも、私たちが調べたかぎりでは、神戸の書店では置いている店はありません。

浅野: ほかの箇所はどうですか?

司会: 後ろから順々にいきますと、『神曲』の前にニーチェの引用が置かれていますが、これは当時の新聞が『ツァラトゥストラ』の中の一文だと言ったのは間違いで、実は『善悪の彼岸』なんです。『善悪の彼岸』の第四章「箴言と間奏」のなかの146節。ただし岩波文庫なんかの訳とはまったくちがいます。それからその前は、ウイリアム・マーチというアメリカの心理学者が禁酒法時代に著した『悪い種子』という本からの引用です。さらにその前にある「絶対零度の狂気」というのは、『零度の文学』を著したフランスのロラン・バルトの言葉らしいのです。これはフランス文学の専門家に教えていただきました。そして、「仮定された『脳内宇宙』の理想卿」とか「無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房」とか「死霊の如く立ちつくし」とか「虚空を見つめる魔物の目」とかは、『死霊』作家・埴谷雄高を思わせる…。「虚空」は埴谷ですが、その他の句があの超大作『死霊』の中にあるかどうか、実はまだ追跡中なのです。『「少年A」この子を生んで……』によれば、A少年の愛読書は、『笑ウせぇるすまん』とか『行け!稲中卓球部』とか『ジョジョの奇妙な冒険』とかの漫画なのだそうです。その中学生が、こんなもの読むでしょうか? 岩田さんが『校長は見た!…』という本のなかでおっしゃったように、「中学生には書けない、校長にしか書けない」。

岩田: はっはっは。「校長にも書けない」と言ったんです。

司会: さらに、冒頭のおかれているのは、「プレデター・2」というアメリカ映画の中のセリフらしい。この映画は、頭部の切断、アンテナ基地、冷凍室、透明人間など、神戸事件を思わせるシーンが随所に出てきます。そして、この映画の監修者が、やはり先ほどのロバートレスラーなのです。たしかに「懲役13年」は、その約半分は引用です。そしてまた、さらにその半分ほどはレスラーの著作およびレスラー監修の映画の中に見いだされるものなのです。「少年Aはパッチワークの天才」などと言う人もいますが、そんなことでは片づけられない。そもそもパッチワークをするにも素材が集まらない。とても不思議なんです。

浅野: そうとう不思議ですね。

司会: それに単なるパッチワークではない。一例を挙げると、冒頭の「いつの世も…同じ事の繰り返しである。止めようのないものはとめられぬし、殺せようのないものは殺せない」は、たしかに映画の中のセリフです。ところがその後に、「時にはそれが、自分の中に住んでいることもある……」という一文を自分で挿入して「『魔物』である」につなげている。そうすることによって、元のセリフの「モンスター」を「心の中の魔物=虚無」に置き換え、先ほどの埴谷的思想につなげていく。「行き詰まりの打開は…心の改革が根本である」とつぶやきながらも、暗い虚無の深淵に沈み込んでいくニヒリストの心情を見事なまでに表現していく…。私たちがこの事件への「米中央情報局の関与」を疑うと、「まさかそんな」と言われることが多い。しかし、「懲役13年」の分析からしても、現実にこの事件の「特命班」による捜査が米国流「プロファイリングの手法」によって主導された事実からしても、また神戸事件が犯行声明文や犯人のマークなどの点で1960年代のアメリカで起きたゾディアック事件――CIAの関与が疑われながら結局迷宮入りしてしまったこの事件に似ていることからしても、さらにはこの事件が日本中を震撼させているうちに日米ガイドラインがさっさと決められたことからしても、要するにどんなルートをたどっても、同じ山のてっぺんにたどりついてしまうのです。ちなみに、このレスラーの著書『FBI心理分析官・2』の最後の章には、オウム真理教のサリン事件も出てくるんですよ。まるまる一章をさいて、詳しく書いています。

 

新聞を読む時は、記者の誤魔化しに気をつけろ(岩田)

神戸事件の真相究明はジャーナリストの責任(浅野)

 

浅野: そう、出てくる。最近この人すごくよく出てますね。

司会: サリン事件には、すごい力を入れて書いている。

浅野: たしかに、日本で大事件が起きるたびに、彼は発言している。

司会: 一方ではA少年が書いたとされる「懲役13年」の一部の文章はレスラーの本から来ており、他方この事件の捜査を指南しただけでなく「犯人像」をピタリと予言していたのも同じレスラー。このまったく無関係のはずのふたつの事態は、はたして「偶然の一致」で済ませられるものかどうか? 私たちも最初は半信半疑だったのですが、いろいろな事実を基礎に推論していくのであって、最初にある命題を仮定しそこから出発して演繹し例証しようとしているのではない。だから、少なくとも吟味に値することだと思うのです。

浅野: あの犯行声明の文章については、立花隆さんが「はっきりいって、これだけの文章を書ける人間は、大学生でもそうはいない」と言った。

司会: 私が一つ想起するのは、グリコ・森永事件です。あれも不可思議な事件でした。そしてあの時も犯行声明が出たが、あれも相当なものでした。

浅野: 僕もそういう感じがしましたね。あと朝日新聞社の銃撃事件もありましたね。

司会: これらの奇怪な事件は、証拠をつかんで現実に立証するのはとても難しいけれど、背後に何かあるんじゃないかと感じないわけにはいかない。

浅野: 何か特定の団体と関係があったんじゃないか。

岩田: まあ、私も「おかしいな」と。何か特定の団体の影みたいなものは感じるけど。要するに感じだけのことですが、う〜ん。

浅野: いま一番ひどいのは、私なんかもこの事件の報道がおかしいとか捜査がおかしいとかと言うと、すぐに「お前は何々派のシンパなんだ」と攻撃されるんですね。神戸事件について何か書くということは、特定の政治団体と関わりがあるからだと、すぐに色眼鏡で見て攻撃してくるわけですね。私が愛媛県の松山市で講演会をしてきたら、別の政治団体がやってきて妨害したり脅したりするわけですよ。ここにも今回の事件のすごい特徴がある。これまでは、刑事事件で誰が支援しようがね、狭山事件を誰が支援しようが、甲山事件を誰が支援しようが、途中で支援団体が変わろうが、日本共産党の人たちが弁護していようがそうでなかろうがね。事件そのものがおかしいのであればそれに関わることについて別に政治団体がどうこう言うことはなかったわけですよ。ところが今回の事件の場合はそれが非常に特徴的で、そういうところをみるとやはりますます政治的なことが絡んでいるのかなと…。

知識人らの無責任な発言

司会; 話を少し戻しますが、神戸事件では新聞のでたらめな報道とともに、高山文彦とか吉岡忍とかのジャーナリストや知識人たちのあまりにも無責任で底の浅い発言が目だちました。

浅野: こういう人たちがいま平気な顔をして、「個人情報保護法反対、権力の規制反対」ってやっているんですね。

司会: そうですか。まったくおかしいですね。

浅野: 神戸事件で言えば、鎌田慧さんですかね、最初から学校批判説で。いわゆるリベラルな左翼的と言われた人が、みんな少年を犯人と決めつけてね。さっき言ったように、「この事件はおかしいんじゃないか」と言うと、「おまえは何々派か」と言って排除してくる。まったく危険な状況ですね。本当に、松川事件の時の広津和郎さんみたいな方がいなくなってしまったというのが、情けないですね。

司会: ノーベル賞作家の大江健三郎氏の発言もひどかったですね。『フォーカス』がA少年の実名を顔写真付きで発表するという暴挙に出た時、彼は言った。「出すのは意味がない。あの子は特殊な子なのか、それとも普通の子なのか、これをはっきりさせないで出しても意味がないのだ」と。

浅野: インターネットでも流れましたね、いっぱい。ご両親の名前とか職業とかもね。間違えたやつも流れたらしいですね。同じ名前の人が何人かいて。

岩田: インターネットかどうかは知りませんけどね、サカキバラというのは、字が違いますけどね、実際そういう名前の人がおるわけですわ。それからA少年と同姓の家もあって、大変なことがあったらしいですね。

浅野: 私、情けないと思ったのが、『フォーカス』が出たじゃないですか、そしてそれがインターネットで転載して流された。それを大阪大学工学部の大学院の研究室でみんなでプリントアウトして貼って、喜んでいた連中がいた。「これがA少年だ」と、学生が研究室で。誰も注意しない。同志社大学でも学内競馬予想誌があるんですけど、それを貼り付けたり配ったりしたんですね、300枚ぐらい。僕がそれに気がついて、ある先生が気がついて「やめろ」って。もちろんああいう事件は怖いですけれども、それを喜ぶ、全然受けとめない、ああいうかたちで亡くなった人にたいする気持ちがないというのが、僕は情けないなって。さきほど岩田さんがおっしゃったけれど、少年犯罪がなぜ起こるのかとかはまったく考えない。それに、「凶悪犯罪だから死刑にしろ」と言う人が堂々と法律を破って、少年の実名や写真をばらまいているわけで、自分が犯罪を犯しているという意識がまったくない。不思議ですね。そこをなんとか変えないといけない。

司会: 神戸事件にかんする日本の知識人の発言は本当に無惨なものでしたね。マスコミは警察を盲信し、そのマスコミをほとんどの知識人は盲信したのですから。まさに「知識人よ、おまえもか」という感じでした。浅野さんは当時、『メディヤ・リンチ』という著書のなかで、たしか次のようなことを書かれていましたね。つまり、「『フォーカス』が顔写真を載せたことに対して、『そんなの当たり前だ。A少年の親も罰するべきだ』とか『教育改革が必要だ』とかと叫んだのは、自由主義史観のグループだ」と。神戸事件にたいしてもっとも反動的な立場をとった潮流と国家主義的教育の必要性を声高に叫ぶ潮流とは、ぴったりと一致している、と。現にあの事件が起こって以来、少年法が変えられ、教育が変えられつつある。さらに、安保も自衛隊も変わって、今では銀座に戦車がまかりとおるようになった。こういう社会的・時代的背景との関係でも、神戸事件を追及していく必要があると私は思うのです。

岩田: それはそうですね。

マスコミ・ジャーナリストへの提言

浅野: では最後に…以前にもうちの学生が岩田さんに聞いているんですけど、やはりジャーナリズムのありかたというか、とくに朝日新聞を中心にした日本のジャーナリズムの主流派、エリート層の記者たちと新聞社・テレビ局に望むことは何か。これについて岩田さん、最後にお話していただければ。

岩田: それはね、いっぱいあるんです。実はね、『校長は見た! 酒鬼薔薇事件の「深層」』という本を書いた時に、マスコミへの提言みたいなこと、マスコミ撃退法をいっぱい書いたんです。本に載ったのはその一部分だけですけど、実例をあげながら、こんな時にこんなことがあったから、私はこうしたというような書き方で、いっぱい書いとったんですわ。たとえば、記事に主語がない。新聞記者は、要するに良い文章にするために省略したと言うんですけど、私に言わせると、誤魔化すために主語を省いとる。読者にこれは警察から取材したんだなと思わせるために、警察官が何々と言っていると書くべきところを、「…という」としてしまっとる。主語は何もなければ、こんな話やったらたぶん警察官がしゃべったことやろうなと、読者に思わせるように書いとる。しかし実際は、記者が自分の頭のなかで作ったこととか、単なる噂とかを書いている。そういう主語のない文章は書くな、と。逆に言うたら、新聞を読む時には、主語のない文章には気をつけろ、と。こういうような書き方でね。文章の実例を挙げながら、いろいろ書いたんです。600枚くらいの原稿やったんです。

司会: 600枚とは、すごいですね。

岩田: さらに、例えばね、まったく意味のない表現がある。「少年が体罰について供述していることが、三十日にわかった」。これが一日の朝刊に出ているわけです。しかし、「三十日にわかったということに何の意味があるんや、と。「三十日にわかったということは、もしもそれが事実だとしても、新聞記者が三十日に聞いたということなんですよね。「三十日に供述した」というのなら、まだその意味はあるんです。しかし、「わかった」と書くことの意味はなんやと。

司会: NHKも今はそんな表現ばかりですね。

岩田: 新聞社がわかった日を書いたって、そんなことは社会的に何の意味もない。これを読者向けに言うと、「何日にわかった」と書いとるのは、怪しい記事や。それをさもさも正確であるかのように見せかけるために、三十日という日付を書いとんのや、と。実際三十日にわかったということには、何も意味はない。一日の新聞に書くんやから、わかったのはそれ以前のいつかであるということは、誰にでもわかることですよね。だから、こういう意味のないことは書くな、と。

司会: そうですね。

岩田: だから逆に言うと、こういう記事は注意しておかないけませんよ、と。もちろん取材面にしたってね、おかしなことがいっぱいあるわけですよ。夜中にピンポンピンポン鳴らして、これはもう社会的な常識はずれやないかと。「夜討ち、朝駆け」いうような言葉もありますけど、そんなことは美徳でもなんでもない、要するに新聞社の都合だけの勝手やないか、と。まあそんなことも、言い出せばきりがないほどあるんです。自分が体験したことで具体的に例をあげれば、そういうことがいま言った以外にもいっぱいあります。

浅野: 神戸事件で言えば、本当は何があったのか、その真相の究明ということは、ジャーナリストがやるべきことですよね。それを、あれだけ報道しておきながら、あやふやなままはないだろう…。

岩田: 言い出したんやから、最後まで何か言わんかい、と。

浅野: 責任とらないかん、と。

岩田: 簡単に言うたら、そういうことです。

司会; 本日は、長時間の対談、どうもありがとうございました。

/E

 

 

 


神戸事件に関する資料

 

資料1

異なる筆跡

 友が丘中学から押収された「三年生になって」というA少年の作文は、神戸事件で「さあゲームの始まりです」と書かれた犯行声明と照合された。この筆跡鑑定は犯人特定の際に「最も証拠価値が高い位置にあった」とされているものの、警察の科学捜査研究所は「同一人の筆跡か否か判断することは困難」と判定した。神戸事件における物的証拠は実は何一つとして存在しない。

 

 

 

資料2

松川事件

 1949817日午前310分頃に、東北本線の松川・金谷川駅間で線路の犬釘が外され、上り旅客列車が脱線転覆して、機関車乗務員3人が死亡した事件。当時の吉田内閣の指揮のもとで、警察は共産党員を含む国鉄労組員と東芝労組員20人を逮捕したが、14年の歳月を経て、最高裁で全員無罪が確定した。三鷹事件・下山事件と並んで、朝鮮戦争前夜に活性化する労働組合運動を破壊するためにGHQが絡んだ謀略事件だ。

 

資料3

偽造された「バモイドオキ神」

 朝日新聞が97719日に掲載した「バモイドオキ神」()は『フォーカス』98311日号が「少年が書いたもの」と報じたもの()とは異なっている。

資料4

アンテナ基地に遺体はなかった

 切断された淳君の胴体部分が隠されたとされているアンテナ基地を、遺体発見の直前に管理者が訪問していた。神戸市開発管理事業団ケーブルテレビ課の家田事業課長は、遺体の胴体部分が発見される約一時間前の527日午後一時半に、新入職員の研修のために、7人でアンテナ基地を訪れていた。しかし「何かいつもと変わったことは全然気づかなかった」「遺体の一部とか、靴とか、血痕とか、そういうものは何も見ませんでした」という。またその前日にPTAの捜索でケーブル基地まで行った友が丘八丁目の主婦3人は異口同音に』フェンス越しに中を見たけど何もなかった」と語っている。また、「調書」ではA少年はアンテナ基地の局舎の裏で頭部を切断したとされているが、局舎と裏側の斜面との間は三○〜四○センチの幅しかなく、実際にはこの場所でそのようなことを実行するのは不可能だ。

 

 

 

 

資料5

頭部は置き換えられている

 「調書」によれば527日、A少年は午前1時頃から午前3時頃までに間に首を置きに行った」とされている。しかしじっさいには、淳君の頭部は午前530分にはプレートの下に(近所の住民の証言)、630分には向かって左の端に(毎日新聞配達員の証言)、そして640分には中央に(学校用務員の証言)と、何度も移動されている。

 

 

資料6

「懲役13年」の謎

 内なる自己を人間実存の深みにおいて凝視する「懲役13年」の埴谷雄高をも彷彿させるニヒリズムは、外なる偶像(=バモイドオキ神)を崇拝する思想とは相いれない。

     

           13 年

1.いつの世も・・・、同じことの繰り返しである。

止めようもないものはとめられぬし、

殺せようのないものは殺せない。

時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・

「魔物」である。

仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い腐臭漂う

心の独房の中・・・

死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、

何≠ェ見えているのであろうか。

俺には、おおよそ予測することすらままならない。

「理解」に苦しまざるをえないのである。

2.魔物は俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、

あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形を躍らせてい

るかのように俺を操る。

それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を

感じさせるのである。

とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。

こうして俺は追いつめられてゆく。「自分の中に」・・・

しかし、敗北するわけではない。

行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。

3.大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思い

がちであるが、事実は全くそれに反している。

通常、現実の魔物は、本当に普通な彼≠フ兄弟や両親たち以上に普通

に見えるし、実際、そのように振る舞う。

彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に

思わせてしまう・・・

ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、

実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、

バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと、

俺たちが思い込んでしまうように。

4.今まで生きてきた中で、敵≠ニはほぼ当たり前の存在のように思える。

良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破壊させられそうになった敵。

しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在である

ことに気づいた。そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。

「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」

5.魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがない

よう、気をつけねばならない。

深淵をのぞき込むとき、

その深淵もこちらを見つめているのである。

「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、

俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。」

 

 

 

「少年Aは犯人ではありえない」という声(編者による追加資料T)

井垣裁判官の異例の決定文の要旨(編者による追加資料U)

ほかにおかしいのは、例えば首を切った糸鋸の話(編者による追加資料V)

参考リンク

神戸事件の真相を究明する会編パンフレットシリーズ 

神戸小学生惨殺事件の真相

http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/pamphlet/kyumei.htm

 

酒鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。

http://www.sweet-cupcake.com/sakakibara.html

 

神戸事件のページ

http://postx.at.infoseek.co.jp/koubejiken1.html

 

/E