★月刊・沈黙の兵器 第00008号 '05/9/30 ★

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最近たった週に1回だけど、空手(極真空手というフルコンタクト空手)の道場通いを再開した。15年以上のブランクがある。なぜ「いまさら」空手なのかというと、空手・ヨガ・耕さない農法は、筆者の原点であるからだ。 原点に戻ってみたくなった。
 しかしハリキッてはみたものの、身体はカタくなっており、蹴りが顔面まで届かない…(^^;。無理に足を上げようと全力をふり絞ると、ヒーヒーゼーゼーの世界にすぐなってしまう。全力をふり絞ると人間どうなるかというと、よい例が相撲である。相撲はたった数十秒の試合なのに、熱闘の試合では試合後に力士がやはりヒーヒーゼーゼーしている場合がある。空手道場での練習は90分もある。小休憩が何回かあるにしても、カタくなった身体にムチうって全力をふり絞るのは大変である。
 だが練習後は爽やかだ。汗を出し切った脱水症直前の身体に、ガブガブと水分を補給する。充実感が全身にみなぎる。

■■■ 郵政民営化、そして非常識 ■■■

さて当初、今回は「耕さない農法」をご紹介しようと考えていた。本誌の基本コンセプトは、政治経済だけでなく、農業や医学、環境問題など諸々の問題をも取りあげて、その「関連性」を大局的かつ哲学的に考えていこうというものだからだ。
 だが、今回の衆議院選挙での自民党の歴史的な圧倒的勝利の直後だけに、このまま「農業編」に進むのにはどうも後ろ髪を引かれる思いがするので、やはりタイムリーな郵政民営化問題などを交えながら、これまでの内容を補完してみたい。

★★ 自民圧勝と郵政民営化 ★★

戦後、日本の農村は「衰退」した。政府の減反政策などの結果としての現在の農村は、およそ「お年寄り」ばかり…。これは「戦後の経済発展」の実現に労働力を必要としたため、戦後を通じて集団就職などで農村の大量の若者が都会に流出したためだ。
 こうした事態を推進したのは、ご存知のように自民党(とそれをサポートしたアメリカ占領政策)であったわけだが、こうした自民党の最大の支持層が農民だったのだから、世の中は「皮肉」なものだ。自分の属する共同体を「衰退」させる政策を推進する政党を、そうとは気付かずに支持する…。

今回の衆議院選挙で自民党が歴史的な圧倒的勝利を収めたことで、郵政民営化はほぼ確定的となった。なんと都会(!)の無党派層の多数が、自民党を指示したためだ。
 だが本誌の前号などで筆者は、最大多数の幸福(=国民に貧富の差が少ない)にとって、民営化が必ずしも良い方向ではない可能性を示唆した。(しかも郵政民営化は、実はアメリカ主導であることも示した)
 今回自民党に投票した都会の人たちは、民営化による「良い側面」を期待していたのであろうが、勝ち組・負け組を容認するような自由競争社会到来の可能性をも、本当に期待したのであろうか…。筆者には、戦後の農村と同じような「皮肉」に思えてならない。

郵政民営化に関しては、吉田繁治氏が彼のメルマガにて客観的な資料にもとづいて素晴らしい分析をされておられますので、ぜひご紹介したい。(人気メルマガなので既に読んでられる方もおられるでしょうが…):
「緊急号:郵政民営化解散」
http://blog.mag2.com/m/log/0000048497/106296755?page=1#106296755
http://blog.mag2.com/m/log/0000048497/106340523?page=1#106340523

内容は結構長文なので、簡単に重要部分だけ抜粋して引用しますと:

 『
 郵貯・簡保など330兆円の国民の金融資産を、ほぼそっくり、国家に貸付しているのが郵政公社です。郵政の本丸である郵貯・簡保は、その資産内容と業務を見れば、難しいところはありません。国民から330兆円借り、公債・財投債を304兆円分買っている。対財務省にも財投のための預託金がある。自己資本は6兆円。郵政公社の金庫に、現預金はわずかです。政府部門の「借用証(公債+預り証)」があるだけです。 これを売らない限り、郵貯・簡保に資金はない。郵貯・簡保の330兆円を、「民間に回す」という主張は、何が「回せる豊富な資金」の根拠か、理解ができません。
 もし郵政公社(あるいは民営化会社)が、これからも年40兆円の規模で増発される国債、10〜20兆円規模で増える地方債を、市場で売却すれば、金融市場はどうなるか? 「売却の方針」がマーケットで感じられた途端に、国債価格が下落し金利が上昇します。(しかし売却しない限り、郵貯・簡保も資金はない。)郵貯・簡保も、国債価格と債券の下落で、巨額の損失を蒙ります。そうなると、民営化での資金運用どころではなくなります。
 竹中大臣は最新号の日経ビジネス(05.8.22)で以下のように発言しています。<(郵政改革で)6本の法律を出したのですが、実は、(郵貯)銀行と簡保(保険会社)については、法律は出ていません。>(P9) 郵貯・簡保の民営化は示しても、「その内容」を示す法案はないのです。
 郵貯・簡保を市場で公開したときの時価総額は、10兆円〜15兆円くらいになると見積もられている。国への貸付しかしていず、金利が上がれば リスク資産になる国債しかもたない郵貯・簡保の財務の実力は、それだけしかない。再掲した郵政公社の貸借対照表を見てください。自己資本は6兆円。これが2倍に評価されて、12兆円です。利益は? 金利が上がれば債務超過です。昨年度の年間利益は1.2兆円。民営化で40%の税がかかれば、昨年の税後利益は7200億円。国債下落(金利上昇)があれば、ひとたまりもない「泡末利益」です。PER(株価/収益率)が、上場企業並みの17倍とすれば、時価総額は7200億円×17倍=12兆円くらいです。6兆円で、世界最大の金融機関(資金量330兆円)の支配株主になることができます。
 』

つまり、民営化しても資金はない。金融資産330兆円の92%が主に国債などに化けている。民営化すれば資金不足からそれを売却せざるを得なくなるので、国債価格が下落し金利が上昇して債務超過にすらなる可能性が大きい。またなんと、竹中大臣が告白しているように、郵貯・簡保の民営化後については法律すら出ていない……!
 これを本誌「沈黙の兵器」風に解釈すると、およそ次のようになる:
●郵政民営化はアメリカの「年次改革要望書」により「通達」されており、結論が先にある。(本誌第7号参照
●だから郵貯・簡保の民営化後の法律まで議論する余裕すらなかった。
 (いや、この部分を精査するとヤバイので、意図的に避けている?)
●わずか6兆円で「外資」は、国債等304兆円の処分権を握る可能性がある。
 (2007年4月から外資は日本国内で自由に会社買収できる(本誌第7号参照)ので、郵政が民営化されるはずの2007年秋には標的になるかもしれない。また吉田氏が指摘するように郵貯銀行が債務超過にでもなれば、もっと安く叩いて買収可能かも…)
●これら外資の参入を、皮肉にも多くの日本人は諸手をあげて歓迎する。
●そうなれば日本国の借金の相当部分を、外資が間接的債権者として押さえることができる。
 (日本国の今年3月時点で日本国の借金は751兆円、うち外人の参与はほんの数%。世界最大の債権国である日本には外国からの借金はないに等しく、国内での「帳簿上だけの問題」だったのに…本誌第1号参照。)
●国債価格の暴落、金利暴騰の可能性がある。
 (超インフレは、起きるタイミングによって日本国に有利、外国勢に不利と働くので、国際金融資本(本誌第3号参照)の実質的手先である日銀(本誌第5号参照)は、当面はそうならないよう信用統制すると思われる)
●もともと国債など発行せずに、国会が通貨を発行すればこうした事態にはならなかったのに。 (本誌第2号参照

★★ 常識と非常識! ★★

ここで予告編を兼ねて、本誌の次号「耕さない農法」を少しだけとりあげる。
 耕さない農法とは、文字通り土地を耕さない。不耕起農法ともいう。(本誌第0号参照
 耕さないことで、なんと肥料もやらなくてすむ! だから有機肥料を与える有機農法とはまったく違うものである。
 除草も最小限で、ほとんど不要である。
 もちろん農薬なんて使用しない。
 しかも収穫量は、むしろ通常農法より増えるくらいである。
 病気にはならないし、台風や冷害にもめっぽう強い!

こんな良いことだらけの農法は、40年くらい前に提唱された。
 しかしほとんど普及しない。何故か!?
 それは「非常識」だからである。
 お百姓さん100人にこの話をして、ビデオも見せて、原理を説明して……も、やってみよう、という人はたった1人(!)もいたら良いほうなのである。99人以上の方々は、どうやら思考停止におちいるらしい。「常識」とはスゴイものである。

思えば飛行機を発明したライト兄弟もそうだった。
 当時は、「金属の物体が空を飛べないことを、数学的に証明された!」とまで、権威ある学者たちの間で言われていたのである。
 そして飛行実験に成功した!……からといって、前途がパッと開けたわけではなく、まだまだ苦難の連続だったようだ。困り果てた彼らは、なんと日本の陸海軍にも売り込みの「ダイレクトメール」を送っている。日本側の反応は?…もちろん「ノー」だったのだ…。

無線通信だってそうだ。当時の権威ある学者たちは、
  「空気中に電気信号を伝えようとしたら、そりゃ可能かもしれんが、カミナリのように大きなエネルギーを使ってバリバリッ!てやらないとイカンのであって、とても実用になることはない」
…と信じていたのである。

ルービンの壺という有名な「だまし絵」がある:



< ルービンの壺 >
≪画像が表示されない方はここをクリック≫

ご存知だろうが、「壺」にも、「向かい合った2人の顔」にも見える絵である。
 ここでチョー大事なのは、単にどちらにも見えるなぁ、というものではなく、
  「壺を認識している時は、2人の顔が認識できない」
  「2人の顔を認識している時は、逆に壺を認識できない」
つまり、「同時には壺と顔を認識できない!」、ということである。
 このことが何を意味するかを、考えて(いや感じて)頂きたい。

★★ 筆者の苦悩と感謝 ★★

ルービンの壺のような簡単な例なら、「これは壺である」と信じてる人に、2人の顔にも見えるでしょ?、といえば「あ、そうですね!」となる可能性はほぼ百%であろう。さらに複雑なだまし絵なら、最初なかなか分らなくても、分った瞬間「あっはー、なるほどね!」と納得して、なんか嬉しい気分になるものだ。この嬉しい気分を得られる瞬間が、最近よく言われる「アハ体験」というやつですね。
 しかし現実の世界は、さらにもっと複雑だ。
 しかも現実の問題には、だまし絵のような「絵」という意味以上に、本人の「世界観」が関係する。
 だから多くのお百姓さんに耕さない農法をお知らせしても、営々と築き上げてきた「世界観」を変えるのは至難の業のようだ。いくらこちらが誠心誠意に説いても、なかには自分の世界観が崩れるのを恐れてか、感情的に反発する人まで出てくるくらいなのだ。

インドの古いお話です。コーサラ国にガウタミーという名の若いお母さんがいました。
 ところが、子供が幼いうちに病気で突然死んでしまいます。
 半狂乱になったガウタミーは、子どもの亡骸をかかえて走りまわり、「誰か、この子の生き返る薬をください」と泣き叫び続けました。皆んな、母親の気持ちは痛い程わかりますが、どうしてあげることもできません。
 そこに、おシャカさまがやってきて言いました。
 「わたしが、その薬をつくってあげましょう。でも、薬をつくるのには材料が必要ですから、あなたは家々をまわって、材料にするカラシの種をもらってきなさい。ただしそのカラシの種は、これまでに死者を出したことのない家からもらってきたものでないといけません。」
 喜んだガウタミーは、次々と家々をたずねていきます。インドですからカラシの種がない家はありません。しかし一方でまた、かつて亡くなった人が一人もいない家というのも、じつは一軒もないのです。たずねても、たずねても、どの家もどの家も、死者を出したことがない、という条件にはあてはまりませんでした。
 そうしているうちに、死による別離という大きな悲しみを経験したのは自分だけではないことが、少しずつわかってきました。誰もが同じように肉親との別れを経験し、その悲しみを克服してきているのです。やがて彼女は、わが子を亡くした現実を受け容れます。
 これはよく知られた仏教説話ですが、宗教的な訓話というより、理屈で諭しても受け容れられるとは限らないという典型を示している。もしおシャカさまが理屈で説いたら、反発されたであろう。
 おシャカさまのようなスーパー説得力を身につけたいものだ…。

でもまだ、耕さない農法とか、ライト兄弟の飛行機とか、無線通信は「マシ」である。なぜなら、実際にやってみせて「論より証拠」を突きつけられるからだ。
 だがマクロ経済の話となると、「論より証拠」は極端に難しくなる。さらに自らの利益のために「意図的に虚構の経済学を流布しよう」とする強力なグループまでいるのだから、さあ大変だ。

本誌では第1号から前号の第7号まで、マクロ経済の内容を中心に書いてきた。そのなかには、常識からはずいぶんとかけ離れた「非常識な内容」があったかもしれない。たとえば、
 ・国家は税金を取らなくても運営できるという無税国家論。(本誌第4号参照
 ・戦後の日本の経済発展は、アメリカが仕組んだ。(本誌第6号参照
 ・構造改革を目的に、バブルは日銀が意図的に創った。(本誌第5号〜第7号)
などは非常識の典型だったかもしれない。
 だができるだけ「実証的」たらんと、客観的な資料や理解を助ける図表、推薦できる書籍やサイトへのリンクでもって、誠心誠意に書いてきたつもりである。ただ筆者の表現能力はおシャカさまからみれば愚鈍としか言いようのないレベルなので、分りづらい点や、誤解や反発をまねくところもあったかもしれない。

本誌は月刊であり、またそれほど長文ではない。だが冗長にならぬよう内容を最小限にまとめるのは、筆者にとって結構難しい作業だ。毎月かなりの時間を割いてこのメルマガを書いている。まぜそこまで頑張るのか?
 ご想像頂けると思うが、以前から筆者は、周りの友人や知人に、本誌がとりあげてきたようなマクロ経済の「内容」を話してきた。だがその反応はあまりにも芳しくなかったのだ。ルービンの壺に例えれば、こんな会話となる;
 筆者:「本当はこれは2人の顔なんです」
 友人:「えっ、どう見たって壺でしょ」
 筆者:「これだけの実証データや証言があります」
 友人:「ふ〜ん、ま、ひとそれぞれ色んな考え方があるからね」
 筆者:「考え方の話ではなく、事実認識の問題ではないでしょうか。
      それにこれは国家の経済にとって最も大事なことなんです」
 (その後も筆者の熱意にホダされ、かなりの時間つきあっては頂けるが、結局……)
 友人:「壺だろうが顔だろうが、どっちだっていいじゃん」
 筆者:「………」

本誌発行者のakionさんの提案で筆者が、インターネットを利用して多くの方に配信できるメルマガの執筆をお引き受けさせて頂いた背景には、以上のような「苦悩」があったのです。理解者を求めて、筆者はこのメルマガを始めたのです。
 現在おかげさまで、120名以上もの読者様がいる。しかも「とても感動した!」とのありがたいメールまで何通か頂戴した。
 おかげさまで、感動したのは筆者の方もです。ありがとうございました。


「月刊・沈黙の兵器」
★まぐまぐ!サイト:  http://www.mag2.com/m/0000150947.html
★発行者のサイト:  http://www.geocities.jp/akion200104/
★執筆者のサイト:  http://www.geocities.jp/untilled/ (←バックナンバーが見やすいよ)

■次号の予定:「耕さない農法」

■筆者へのご意見ご感想は:  untilled@yahoo.co.jp

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