★月刊・沈黙の兵器 第00006号 '05/7/28 ★

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現在、筆者の畑ではインゲンの収穫時です。インゲンは、ほったらかしでもたくさん収穫できるので、毎年この時期の食事はインゲンだらけなんです。もうすぐミョウガの収穫時。こんどはミョウガだらけの食事です。(「だらけ」は大袈裟.胡瓜やトマト等なども作ってますよ)
 ただし食事といっても、筆者は一日に原則一食しか食べません。食べるということはけっこう身体に負担をかけるもので、過剰な活性酸素(=80%の病気や老化の原因)を発生させることが分っています。
 『マウスの実験もある。えさを好きなだけ食べさせたマウスの平均寿命は27カ月。えさの量を75%に減らすとすると33カ月に、40%にすると45カ月に延びた。』 ( 「AERA」04.1.12 より)
 戦後、日本人の平均寿命が伸びてきたのも、戦争を経験して少食だった世代だからであって、今の飽食の若者の世代は短命化する、という説もあります。きっと正しいと思う。皆さんも健康・長寿・美容に効果的な、この少食主義を実践されたら如何ですか?(ただし急にガマンして少食にするとヤバイ場合が多いので、身体を徐々に慣らしていきましょう)

■■■バブルの目的は何だったか?(1)■■■

前号で、バブルの真犯人は日銀!である、と述べた。その具体的な秘密テクニックとして「窓口指導」という名の信用統制がある、と説明した。だが、まだ納得されていない読者も多いのではないか?
 では日銀は、なぜ、なんの目的で、バブルを創ったのか?、これが分らないと納得できないというわけである。今回はそこに焦点を当ててみます。そのためには、それまでの日本の経済発展の経緯や社会構造の話から始めないといけない。

★★ 日本の経済発展とは? ★★

日銀が意図的にバブルを創った目的を理解するためには、その前の日本の高度経済成長(の目的)を理解しなければならない。高度経済成長(の目的)を理解するには、その前の日本が戦った未曾有の大戦争の意味を理解しなければならない。

戦前の世界はどのような世界であったか?。黒人は奴隷にされたし、オーストラリアやアメリカ大陸では、先住民が皆殺しに近い状態までいった。インドや東南アジアはタイを除いて植民地、中国は阿片でメロメロにされ泥沼化。日本人は独立を保ってこそいたが、有色人種として白人社会からは差別されていた。戦前までの世界は、現代の若者からは想像も難しい世界だったのである。
 推薦図書: 「侵略の世界史―この500年、白人は世界で何をしてきたか」 {祥伝社黄金文庫) 清水馨八郎 著
 ただし白人の方々の名誉のために附言すると、これらの所業の大半は「赤い楯ファミリー」が主体であったのであり、一般の白人の方の多くが好戦的な侵略者であったわけではない。
 推薦図書: 「赤い楯―ロスチャイルドの謎」 (集英社文庫) 広瀬隆 著
 この本を読めば解るが、一般の白人の方々も、ある意味彼等の犠牲者だったのである。

やがて当時「大東亜戦争」と呼ばれた未曾有の大戦争は起こり、日本の敗戦で終わった。
 敗戦直後に、先見の明ある複数の日本人は、次のような内容の手記を残している:
 『もし、占領軍が銃剣でもって日本を制圧しようとするなら、今次の戦争で敗れたりといえども必ずや日本は独立を勝ち得るであろう。しかし問題はその逆の場合である。彼らが有名な寓話のごとく太陽のように甘言で近づいてきたならば、日本にとってかつてない最大の危機となろう』
 そしてその不安は的中した…。

国力が桁外れに違うアメリカと戦争したのであるから、負けて当然の馬鹿な戦争をした…、などと戦後の洗脳されたアタマで考えたら真実が解らなくなる。例えば真珠湾開戦当時、空母の数でいえば「10:3」のどちらが日本であっただろうか?。
 日本が空母10で!、アメリカが空母3!。事実である。
大西洋にはアメリカはプラス4の空母を有したが、太平洋では空母3だった.但し、終戦直前にはアメリカの空母は約100隻!、ここに物量神話が生れた。またよくある「反論」に、ロンドン軍縮会議など国際条約で日本の軍事力は制限されていたから、空母の数が「日本10:アメリカ3」は信じ難い、と…。実際はロンドン軍縮会議は1930年、国際連盟脱退が33年であるから、その後、真珠湾攻撃の41年までの間に軍備増強に励んだのである。一方当時アメリカは一国主義つまり「モンロー主義」により外国と戦争するなど国民は考えていなかったから、軍備は自衛のための最小限であったのだ
 しかも日本には世界最強の戦艦大和や武蔵があったし、戦闘機数も倍以上で世界最強のゼロ戦もある。アメリカの魚雷は白い航跡を残しながら接近するので回避可能であったが、日本の酸素魚雷は航跡を残さずに接近するので回避不能。日本の戦闘員の士気と経験は中国戦などで鍛えられている一方、米軍は長年の平和で実戦経験のない平和ボケした戦闘員ばかり…。実際戦ってみれば、緒戦で日本軍は連戦連勝。イギリスの誇る最新鋭軍艦 Prince of Wales すらもアッというまに撃沈してしまう。本来なら数ヶ月で太平洋の制海権を制圧できたはずなのに……では、最終的になぜ負けたのか?、いずれ本誌で特集してみたい。
 戦局が日本にとって極めて不利となった終盤戦においても、神風特攻が彼らを震撼させた。もし、アメリカ軍の「VT FUSE」=近接信管付き対空砲弾(これにより特攻機の8割が撃墜された)の開発が遅れていたら、戦局はまったく違ったものになっていただろう。
 以上で言いたいことは、アメリカは物量により余裕で最初から圧倒的に勝利したのではなく、米英軍は薄氷を踏む思いで日本に辛勝したのが現実なのである。しかも戦争の結果、白人列強の植民地の殆どは独立してしまう。世界中の権益のほとんどを一挙に喪失した彼等が、憎っくき日本め!、と思うのはごく自然ではないか?

彼等は日本を憎み、一方では恐れた
 もしあなたが彼等だったらどう思ったか、そしてどうするかを考えてみてください。まず彼等は天皇制を維持して利用する一方、一般国民は軍国主義の軍部の犠牲者だったのだ、という東京裁判史観を刷り込ませた。アメリカは自由と民主主義をもたらす解放者だというわけだ。そして日本人の「心の改造」に取りかかった。人の心を変え、「堕落」させるのに何がいちばん効果的か?
 紙面の関係上結論から述べると、贅沢させること!、である。それまでの「贅沢は敵」から、「贅沢は素敵」への転換である。
 前号で、戦後当然ながら代々の日銀総裁はアメリカのシンパであったと述べたが、日銀はアメリカの意向に沿って日本の経済発展の原動力となったのだ(必要によっては一時的に不況を創出することはあったが…)。中央銀行がいかに強力に国の生産力をコントロールできるかを、本誌を今までお読みいただいた読者ならご理解賜りたい。
 さらに朝鮮戦争やベトナム戦争のときは、兵器生産の多くを日本企業に任せたから、経済は大いに潤った。
 もちろん戦後の経済発展は、日本人が勤勉と創意工夫で頑張ったことが大きいのであるが、日本の敗戦により生殺与奪の権を握ったアメリカの後ろ楯があったからこそ、可能だったのではないか?
 占領軍のGHQに勤務していた複数の日本人の証言がある。 『日本がこれからどうなるかの青写真があった。それを見せてもらったことがあるが、その後ほぼその通りになって驚いた』…と。これらの証言は、筆者が直接にきいたものも含まれている。

彼等にとって、憎っくき日本人を単に豊かにしただけでは、仕事の半分にすぎない。日本人から「日本の心」を奪う必要があった。
 教育やマスコミや、いろんな分野でいろんな方法がとられた。
 有名なところでは、「3S政策」 (3つのSすなわち、Screen=芸能、Sports=スポーツ、Sex=本能的な享楽を蔓延させて、政治や社会問題よりも例えば阪神vs巨人戦に熱中する大衆を作りだす政策)がある。
 やがて日本人はエコノミックアニマルとまで言われるようになった。経済=お金儲け=趣味やレジャーやセレブな暮らしが最大の関心事となった。安全保障はアメリカ軍がやってくれたから、平和ボケが進行した。
 バブル期は、エコノミックアニマルの絶頂であったのではないか?

日本を経済発展させたもうひとつの大きな要因がある。ソ連の脅威による防共の砦?、現在の中国のように世界の生産基地としての存在価値?、いやいやそれもあるだろうが、もっと大きなものである。
 それは、ニューディーラーたちによる壮大な経済システムの実験!、である。
 このすぐ後の節で述べるように、当時、自由主義は行き詰まっていた。そこで修正資本主義が叫ばれ、ニューディーラーと呼ばれる人たちによって研究されていた。占領軍GHQの中には、このニューディーラーたちが多数いた。占領によって日本を自由にできる立場になった彼らは、日本において、新しい資本主義の形態を実験しようとしたのである。
 これは、日本人を「成り金」長者にする目的にも合致する。

★★ 日本型資本主義の構造 ★★

80年代には日本型資本主義、日本型経営が世界の脚光を浴びていた。「Japan As No.1」とまで持ち上げられ、また自らもそう自認するものも多数いて、鼻高々であった。労使が一体化した家族的経営で、会社の従業員は自分が所属する会社を、「ウチ」の会社は…と称して帰属意識が非常に高かった。それを支えたのが「終身雇用」や「年功序列」、それに強力な「社内の労働組合」などであった。貧富の差も少なく、失業率は2%前後と低く、浮浪者や乞食などは滅多に見ることがなかった。一方で大企業のオーナー社長さんですら、プール付きの大邸宅に住むものは稀有であり、いたとしたら従業員や労働組合の反発をかったであろう。国民の大多数が「中産階級意識を有していた。その意味で、日本は理想の共産主義国家であったのかもしれない。この日本型資本主義によって、日本は奇跡の戦後復興と高度経済成長を成し遂げた。
 しかし80年代の Japan As No.1 とまで持ち上げられた日本型経営は、バブル崩壊後の「失われた十年」と呼ばれる十年以上の長期不況によって逆に酷評されるまでに至った。戦前には鬼畜米英だったものが、戦後にはアメリカは日本にとって最大の友人とまで180度評価が逆転したときのように、今度は米国型の自由経済資本主義がもてはやされるようになってきたのである。自由化、民営化、規制緩和が当然のように語られるようになった。
 だが歴史が示すように、自由主義経済には惨憺たる過去がある。自由主義経済の結果として、1932年のアメリカの失業率はアメリカが23%、イギリスが22%、ドイツが30%、日本が7%(1920年代は25%前後)で、世界は貧困にあえいだ。そのため修正資本主義が唱えられ、アメリカにおいてはニューディール政策がとられ、国家が積極的に経済に介入することが推し進められた。自由化、民営化、規制緩和の逆である。
 ところが最近になって、シカゴ大学やハーバード大学の新・古典主義学派によって、自由主義経済肯定論が再燃し宣伝されだした。そして最近のアメリカ経済の好景気により、一方では日本の長期不況により、目の前の現実からは、米国がいうところの自由主義経済がうまく機能しているかのようにみえるため、多くの識者がそれに賛同しているわけだが、これは実は巧妙な「政治的ワナ」である。これについては後に述べるとして、話を戻そう。

会社(株式会社)は、ステークホルダー(顧客や地域社会などを含む広義の解釈)を別としたら、次の図のように「株主」と「経営者」と「従業員」の3つに区分される(呼称の問題であるが、従業員をもし社員と称すると商法では株主のことを社員と称していて混同するし、労働者と称するとなにやら左翼系の表現ともなるので、あえて従業員とした)。


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日本型資本主義の下では「系列企業」による「株の持ち合い」が重視され、「メインバンク(銀行)」とともに会社の「安定株主」となっていた。株主はほとんどがグループ関連で占めていたので、株主総会は大抵シャンシャン総会で終わっていた。
 また会社の資金調達方法は、銀行融資が主であった。(本誌第4号で述べたように、銀行融資は国家全体の信用創造量が増加してGDPの増大、経済の発展に寄与するのに対し、株式市場からの資金調達はゼロサムゲームである)
 これらにより、経営者は株主をあまり意識せずに経営に専念できるというメリットがあった。日本型資本主義である家族的経営の背景である。終身雇用制度によって従業員は会社に忠誠心をもち、会社は長期的な経営計画を実行できる。会社は従業員みんなのためにある、とする日本企業はとても多かったし、運命共同体のような組織であった。
 米国型資本主義では、会社は主に株式市場から資金を調達するため、株主の発言力が大きい。経営者はいつ株主によってクビにさせられるか分らないし、会社そのものが丸ごと買収されることもある。「たかがカネを出しただけ」なのに、「会社は株主のものだ」と豪語するホリエモンのようなハナもちならない輩が出現する。株主は目先の利益=配当を要求するため、経営は成果主義・能力主義となる傾向が強い。社内の同僚はもちろん、上司から見て部下ですら皆な競争相手になるため、仕事のノウハウを共有することが難しくなる。
 ソニーの盛田会長は1990年に米国ABCテレビの取材に応えて、『アメリカは企業を一部のトップエリートが支配しています。日本では企業はその集団全体のものなのです。私は企業とは家族のようなものだと考えています。人々をモノのように扱うべきではありません。アメリカは人権重視といいながら、企業の行動は人権侵害である。』と話している。

あまり知られていないことであるが、こうした日本型資本主義の原型は、1938年に制定された「国家総動員法」にある(1940年から本格稼働したためこれを40年体制ともいう)。国家総力戦という近代戦争を遂行するために、日本国全体の「公」を優先させ、自由主義的に動く投資家つまり資本家の「個」を制限した。
 中央銀行である日銀も大蔵省に法的に従属され、国家全体の信用統制が徹底された。これが前節で述べたように戦後も占領軍GHQのニューディーラーたちに承認され、1998年4月施行の「新・日銀法」(=日本国からの日銀独立権の確立)まで継続したのである。

では「40年体制」までの日本はどうだったか。戦前の日本は、 アメリカのような自由経済資本主義だったのだ。
 終身雇用も年功序列も定期賞与もほとんどなく、会社は中途採用やリストラを簡単に行なうし、従業員側も給料がよい職場があれば遠慮なく辞めた。系列企業による株の持ち合いも少なく、個人や一族が投資家(資本家)として大半の企業の株主となった。よって株主の発言力は強く、大企業の取締役の多数は株主から送り込まれた社外取締役であった。株主の意に反すれば、経営者はすぐにクビにされた。
 1920年代は日本企業の資金の半分以上を株式市場で調達していた。一方対照的に1960年代以降の統計では5%未満である(つまりほとんどが銀行融資による資金調達へと変化した)。
 1920〜30年代の日本の主要企業は株主配当が利益の70%近くで、社内留保または再投資は25%であった。一方対照的に1960年代後半以降では株主配当は利益の40%前後にダウンして、再投資には55%もまわっている。再投資は経済成長に不可欠である。

社会経済体制の構造には一般的に、自由奔放な経済を是認する自由主義(アダムスミスが提唱した古典経済学)と、国家統制の計画経済を主軸として平等な社会を目指す社会主義(マルクスが提唱したマルクス経済学)が知られている。この2つは、対立する概念「自由と平等」の両極をいくものである。(対立する概念を処理するツールに「弁証法」なるものがあるが、別の機会に述べる)
 しかし古代中国の孔子は「中庸は徳の至れるなり」と言っているように、極端なるものは必ず挫折する。自由主義は1929年の大恐慌で存亡の危機を味わったし、社会主義のソ連は1991年に消滅した。
 そこで第三の選択として修正資本主義(JMケインズが提唱したケインズ経済学)を模索するニューディーラーと称する人達が登場したわけであるが、彼等にとって、結果的に負けこそしたものの人類未曾有の大戦争を遂行した日本型資本主義に大いに関心を抱いた。
 日本型資本主義は、国家が信用統制によって経済全体を方向付け(社会主義的)する一方、企業間では競争原理(自由主義的)によるインセンティヴが働くという、自由と平等の中庸型経済体制であったからだ。いくつかの改善点はあるにせよ(最大は本誌第2号で主張した「国会が信用創造せよ!」)日本型資本主義は、万民が「自由」でほぼ「平等」な豊かな社会を実現できるという理想に近いシステムであったのかもしれない!。

ニューディーラーを含む彼等は、日本型資本主義の壮大な実験を行ない、そのメリットを理解した。だが決して表立ってはそのメリットを公表しない。なぜか?。簡単に言ってしまえば、万民のための理想社会の実現など、彼等の目的ではないからだ(あなたがもし彼等なら、同様に考えた可能性もあるのではないか?)。つまり彼等即ち欧米エスタブリッシュメントの真の目的は、彼等が世界を安定的に支配するということである。(もっとピンポイントで述べれば彼等とは、本誌で繰り返し述べている、世界史上最大の詐欺師集団つまり中央銀行家達である)
 そのため、新・古典経済学派(シカゴ大学のフリードマンが中心に提唱)が登場して、自由主義を賛美する「虚構の経済学」を意図的政治的に流布することとなる。例えば本誌第5号で述べたように、彼等の仲間スウェーデン中央銀行がノーベル経済学賞をデッチあげて、その学派に賞を与えるのである。その学派は研究費も潤沢である。こうしてその理論を経済学の「主流」と錯誤させる。日本の識者の多くは、この「虚構の経済学に洗脳」されてしまった。一流大学を出てかつアメリカ、とりわけシカゴ大学かハーバード大学に留学経験のあるエコノミストほど、この類である。経済財政政策担当大臣・竹中平蔵はその代表である。

■次号の予定:
  バブルの目的は 何だったか?(2)
   ・目的は日本の構造改革!
   ・驚異のSII=年次改革要望書!

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