★月刊・沈黙の兵器 第00039号 '08/05/13 ★

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風が吹くと桶屋が儲かる、という言葉をご存知ですね。
 少しだけ関係あるような因果関係を、ことさら言う場合に使う。
 4月26日付の毎日新聞に、『消えるバター』と題した記事があった。
 なんでも『バイオ燃料への穀物需要増で飼料が高騰した』ので、牛のエサが減ったからだという。
 だけど、この理由はおかしいのではないか?
 1)確かにバイオ燃料への利用が進んでいることは知っているが、絶対量はまだまだ少ない。
   実際、バイオ燃料を利用したクルマがどんどん増えているとか、聞いたことありますか?
 2)バターの原料である牛乳は、値上げこそしたが、ちゃんと店頭で売られている。
   バターが消えたなら、牛乳も消えてしかるべしではないのか?

…なぁんてことを筆者が話したら、周りの人たちが、
 「あ、言われてみたらそうですね。すっかりバイオ燃料が原因と思ってた…」
 大新聞の書いたことは、無批判にそのまま信じる人が多いようなのだ。
 そっちの方もコワイ話だな、と思ってしまいました (>_<)

さて、穀物の価格高騰は、投機筋による買い漁りが当面の原因であろう。
 また「バターが消えた」は、値上げの言い訳のための演出かもしれない。
 あるいはバイオ燃料でなく、石油を使ってほしい人たちからの情報操作も考えられる。
 もっとも、本メルマガで以前取り上げたように、
  ・水不足
   例えばアメリカの中央穀倉地帯では、豊富な地下水を農業用水としてきた。
   ところがここ数年それが干上がり、収穫が困難となってきた。
  ・ミツバチが激減 (アメリカでは昨年70%のミツバチがナゾの失踪)
   牛が主に食べるアルファルファという牧草も、ミツバチの受粉に依存している。
 などにより、生産量自体の大幅減少が近未来に予想される。
 バイオ燃料に穀物を取られなくとも、食糧難は確実に迫っているのだ。
 すでにフィリピンなどでは、食料不足で暴動まで起きている。


■■■ 真説・歴史観(3) 天皇2 ■■■


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★★ 天皇家のルーツ ★★

あれは15年くらい前のことであった。
 何気なくTVのスイッチを入れると、NHKらしく、どっかの大学教授が解説していた。
 どうも日本のルーツに関係した「倭国」(わこく)のことらしい。
 魏志倭人伝に倭国のことが書かれている、と言っている。
 そのくらいは知っているさ、と思ってると、教授は驚くべきことを言い出した。
  『魏志倭人伝より以前の、倭国の位置を示した古地図があります』
 として、3枚の古地図を取り出した。
 その地図では、なんと倭国の位置が、中国大陸の内にあったのだ!

そして教授は、倭国の「倭」という文字についても、古地図を見ながら解説した。
  『ご覧のように、倭国以外の外国には、みな「犹」のように「ケモノ」偏が使われています。
   当時中国では、中国以外の国を蛮人の国と見下していたからです。
   ところが倭国だけには例外的に、「人」偏を使って頂いている。
   これは時の中国政府にとって、倭国がなにか都合の良い存在だったと思っています。
   例えば倭国が、なにか高度な技術を中国にもたらせてくれたとか…』

ななナント、当時はそうだったんだぁ?
 漢和辞典「漢字源」によると、「倭」は、「背が曲がって丈の低い小人の意」とある。
 どっちかというと蔑称かと思っていたが、他の国と較べると人間扱いしてくれてたのねぇ!

更に重要なことに、その3枚の古地図は、倭国の移動のようすも示していたのである!
 その古地図を残念ながらお見せできないので、現代の地図上で示すと(右寄り)、
   倭a → 倭b → 倭c
 のような移動経路だったと記憶している。
 こんな重要な古地図、なんで有名じゃないのぉ??
 (有名どころか、その後、その古地図の存在を示す番組や書籍もお目にかかったことがないのです。それっきり…。だれか何か知ってたら教えて!教授の名前をひかえておくべきだった…と後悔してます。これはひょっとかして、倭国の真相を知られたくない何かがあるのかも?)


< 古地図に示された倭国の移動経路(図の右)と、イスラエルのカド族(図の左) >


この3枚の古地図の存在を、知るか知らないかの、事実認識の相違は大き過ぎる。
 この古地図が本当なら倭国は、中国内のやや南方から北上して、朝鮮半島に移動したことになる。
 その後の魏志倭人伝では、倭国が九州にあると推定できるから、ついに日本に移動したわけだ。
 さらにその後、主な説では、四国を経由して、紀州や浪速などから、大和に到達する。
 いわゆる「神武東征」のルートである。

もちろんこれは、仮説にすぎない。
 だがこれから述べることも含めて、この仮説が前提なら、いろいろな別の仮説との辻褄が合う。
 ちなみに教科書的な定説といえども、それほど信用できるものではない。
 歴史の定説は、結構頻繁に変わっている。
 つまり真相は分からないのが歴史なのだ。

1) ちょっと有名な、「天皇朝鮮半島起源説」も、このルートで説明がつく。
 「倭c」の位置から話を始めれば、朝鮮半島が起原ということになる。

2) イスラエルの失われた十支族のカド族が「御カド」、つまりミカド(帝)になったという説。
 念のため申し上げますが、「当時のユダヤ人」は東洋人です。
 青い目のユダヤ人は、本メルマガで以前述べたように、西暦1000年頃のカザール人です。
 カザールのアシュケナジユダヤ人は、人種的には、本来のユダヤ人とは無関係なのです。
 そして本来の、東洋人ユダヤの王家の紋章は、天皇家の菊花紋と酷似しているのです。
 次の写真のように、エルサレムの宮殿跡には、16菊花紋が刻まれています。


< エルサレム宮殿の16菊花紋 >

イエスの時代のヘロデ王家の棺にも、菊花紋が刻まれていたことが報道され、話題になりました。
 ただし、なぜか日本ではほとんど知られていません。
 偶然の一致だろう、で終わりです。
 しかし海外、特にイスラエルでは、ちょっとした高校生でも知っている有名な話です。


< ヘロデ王家の棺の菊花紋 >

日本(特に天皇家)と古代ユダヤとの関係を示すものは数多くある。
 ここでは、2つほど取り上げてみよう:

A) 平安京
 ご存知のように794年、京都に平安京という都が建設された。
 平安の都市、これをヘブライ語(つまりユダヤ語)では、ずばりエルサレム。
 エルサレムはイスラエルの首都で、エル・シャラーム、つまり平安の都市という意。
 挨拶の言葉「シャローム」は、あなたに平安を、という意味で使われる。
 しかも京都の、つまり平安京のシンボルは、ずばりダビデの星なのだ。
 少し前まで京都市水道局は、このマークをそのまま使っていました。
 各家庭の水道栓のフタには、すべてこのマークが刻まれていました。
 一応公式には、京都の「京」をデザイン化したものと言われていますが…
   ダビデの星 = イスラエルの国旗 = 平安京のシンボル

B) 祭りのお神輿(みこし)
 平安京の話は、偶然の一致かもしれません。
 では、これはどうでしょう。
 次の写真は、映画「失われたアーク(聖櫃)」をご覧になられた方ならご存知でしょう。
 失われたアークとは、旧約聖書に出てくる神との契約の箱です。
 聖書に作り方が詳しく書かれてあるので、その通りに映画で製作したわけです。


< 失われたアーク(聖櫃)>

この契約の箱アークは、神への礼拝所に置かなければならないのです。
 しかも、その箱の側面の2本のサオを、お祭りで人が担がなければなりません:

(出エジプト記・25章・14節)
そしてそのさおを箱の側面の環に通し、それで箱をかつがなければならない

つまりこれは、見ても分かる通り、日本のお祭りの神輿(みこし)ではありませんか!!
 箱の上に鳳凰(聖書ではケルビム)があるところまで、まったく同じではありませんか!
 世界広しといえども、お神輿を担いでお祭りするとこなんて、日本以外にあるでしょうか?

さて前号で述べたように、天皇は神社の神主さんの親玉です。
 神社は、当り前だけど神様への礼拝所です。
 お神輿は、お寺にはありません。(例外あり)
 神社にあります。
 土地によっては保管場所が神社でないところもあるでしょうが、神社のお祭りで使います。
 天皇と祭りの神輿、ユダヤ王家(菊花紋)と契約の箱、聖書の記述…、もうバッチシでは?

他にも、古代ユダヤと日本との関係を示唆するような事例はいっぱいあります。
 例えば、大晦日には眠らないとか、正月のお餅や門松とか、京都の牛祭りとか…。
 でも本メルマガ的には、もうこれくらいにしておきます。
 未だに信じられない方は、ご自身でいろいろ調べてみてください。

3枚の古地図の話から、ここまできました。
 イスラエルから突然日本の倭国は話が飛びすぎですが、古地図はその移動を示唆します。
 筆者が古地図を「目撃」しなかったら、天皇が古代ユダヤからという話は信じないでしょう。
 いや今でも、100%信じているわけではありません。
 今でも75%くらいかな…(^^)
 逆に、75%は充分な確信度と思って、書きました。

皇暦という暦をご存知ですか。
 神武天皇の即位紀元から数えた暦で、戦前はよく使われていました。
 西暦(グレゴリオ暦)よりも660年大きな値となります。
 例えば西暦2000年は、皇紀2660年となります。
 今年は西暦2008年ですから、皇紀2668年になるわけです。
 では2668年前、日本はどうだったか?
 文明らしい文明もなかったようだし、皇暦なんてウソっぱちだ?
 普通ならそうなりますね。

でも天皇を古代イスラエルのカド王家の末裔だ、と考えれば話は別です。
 以下、もちろん仮説です。
 イスラエル(北朝)がアッシリアにより滅ばされたのが、紀元前722年でした。
 それから62年後の紀元前660年に、王朝を再建。(ありえるタイミング)
 そして東へ東へ、と移動していった。
 それが「皇暦」と「神武東征」伝説のもとになったのではないか。
 当時の古代ユダヤは、高度な建築土木技術などをもっていました。
 だから中国を移動中のとき、「倭」という人偏の漢字を頂戴できた。
 先の大学教授の話と符合します。
 こうして数百年かけて大陸を横断し、やっと倭国は日本に到達したわけです。

ところで、「倭国」は「わこく」、つまり「倭」は「わ」と発音します。
 「わ」は「和」に通じ、「倭」を「やまと」つまり「大和」と読む場合もあります。
 でも考えてみると、倭は、「イ」と「委」、つまりどちらも「い」ではないか?
 い、い?、イスラエル!
 そう、中国人からみて、イスラエルに「倭」の漢字を当てるのは自然のはず。
 もちろん人間扱いして、ケモノ偏でなく人偏で考えた場合ですけど。


★★ 「情報操作」としての日猶同祖論 ★★

前項で、日本(天皇)と古代ユダヤの共通点を指摘しました。
 そういうのを「日猶同祖論」といいます。(猶は猶太=ユダヤ)
 だが世の中、ガセネタ、つまりウソの話も多い。

ガセネタ1)
 【伊勢神宮の灯篭に、菊花紋とダビデ紋とヘロデ紋の3つが彫られている】
 これ結構有名で、ネットで調べても、いろいろあります。
 筆者が実際現地に調査に行くと、確かにその灯篭がたくさん存在していました。
 でもそれは、すべて伊勢神宮境内ではなく、外の伊勢市街にありました。
 伊勢神宮境内のなかには、そんな灯篭、たった一つも存在しません。
 調べるとその灯篭、戦後にアメリカの要請で、神戸の業者が建立したもの。

ガセネタ2)
 【青森に、「イエスキリストの墓」なるものが存在する】
 これも、実際に青森へ調査に行って来ました。(経費がしんどい…)
 そこで当時の生き証人である、元小学校校長にインタビューしました。
 彼曰く、
  『戦後まもなく、竹内という人物が突然青森に現われた。
  そして、「古文書によると、ここがイエスキリストの墓だ」、と主張した。
  地元の新聞が、それを取り上げて、面白ろおかしく記事にした。
  すると(なナント)たった1週間後!に、アメリカから映画撮影隊が来た』
 …というのです。
 当時の情報伝達速度や、撮影隊を編成する時間を考えると、明らか。
 元校長も、1週間は不自然すぎる、と賛同した。

では何故、何のためにそんなガセネタを流布するのか?
 世界標準でいえば、それは「親ユダヤ感情」をインプットしたいからです。
 多くの国で、「先祖は古代ユダヤと関係していた」、とプロパガンダしてます。
 その国をX国としますと、X猶同祖論を宣伝するわけです。
 それによってX国民が、ユダヤへ少しでも親近感をもってほしい、…というわけ。

ところが日本は例外(かも)で、あまりにも古代ユダヤに関係している(かも)。
 その秘密を当面は知られたくないために、わざとすぐバレる話をデッチあげる。
 馬脚がすぐバレることを主張することで、日猶同祖論を、むしろ否定したい。
 そんな隠れた意図が、感じられる(かも)。
 深読みすぎるかな〜〜??


★★ 天皇の万世一系は本当か? ★★

前号で、男系天皇(男系遺伝子Y)にこそ意味、尊厳があることを書いた。
 また今号で、倭国は天皇家の祖先が統治した国だったのではないか?、との仮説を書いた。
 でも倭国(邪馬台国)は、卑弥呼という女王が統治していたのでは?
 そういうイメージが一般的だが、Wikipediaでは次のように書かれている。

『卑弥呼に関する「魏志倭人伝」のこの記述から、卑弥呼は呪術を司る巫女(シャーマン)のような人物であり、邪馬台国は原始的な呪術国家とする見方がある。 一方で、弟が政治を補佐したという記述から、巫女の卑弥呼が神事を司り、実際の統治は男子が行う二元政治とする見方もある。 女王を戴いてたことから邪馬台国を女系国家と論じる者もいるが、卑弥呼以前は男王が立ち、卑弥呼の死後もまず男王が立っていることから、これは疑わしい。』 (Wikipedia:邪馬台国の政治

公式の歴史でも、男系維持のピンチヒッターとしての女性天皇がいました。
 卑弥呼はそんな一時的な女王だったか、特別の事情があったのだろう。
 ちなみに、Wikipedia「天武天皇」によると、
  『天皇の称号は、天武天皇が始めたとする説が非常に有力
 とある。それまでは「大王」と呼ばれていたそうだ。
  『天武天皇までは、リーダーシップのある者が大王となった』
 つまり、それまでは男系の血統が維持できていないかもしれない。

では、天武天皇より以降は大丈夫だろうか?
 あまり知られていないが、天皇家の側近に代々「N家」という家柄がある。
 このN家は、天皇が、どの女性を相手にされたかを記録する係である。
 そこまで天皇はプライベートがないのかと同情したくなるが、そうらしい。
 そうした「チェック役」がいるのなら、一応信用することにしよう。
 少なくとも、明治維新までは…。


★★ 明治天皇すり替え説 ★★

情報通にはちょっと有名な話だが、明治天皇がすり替わった、という話である。
 明治維新のとき、薩摩と長州は、尊皇攘夷をスローガンに、倒幕を進めようとした。
 尊皇とは天皇を尊び、攘夷とは外国を討ち払い、倒幕とは徳川幕府を倒すこと。
 ところが尊ぶべき天皇の孝明天皇は、薩長にとって厄介な存在であった。
 孝明天皇は頑くなな公武合体論者で、徳川幕府と一体になろうとまで考えていた。
 しかも孝明天皇は、たいへんな長州嫌いだった。(少し前に都で暴れたからだろう)
 これでは維新のスローガンと目的に、大きくかけ離れてしまう。

ところがなんと孝明天皇が、薩長にとっては天佑のごとく、36歳の若さで崩御する。
 そこでその皇子である睦仁(むつひと)が、明治天皇となった。
 その明治天皇はなんと薩長の維新に味方し、倒幕の勅令を出したのである。
 これで薩長軍つまり討幕軍は「錦の御旗」を手に入れ、維新は成功したのである。
 以上が、公式な歴史だ。
 でも、なんか不自然だろう?

…ということで、孝明天皇を暗殺して皇子睦仁をすり替えた、という説が登場する。
 でもこの説、なかなか説得力がある。
 まず「南朝正統論」が、昔からあった。
 室町時代の、いわゆる南北朝において、南朝が正統だという考え方だ。
 ところが幕末の孝明天皇は、北朝の系統だ。

一方、南朝の後醍醐天皇の直系に、光良(みつなが)親王がいた。
 その光良親王が長州萩に落ちのび、その家系が長州で長年「保護」されていた。
 そこで薩長は、その末裔の大室虎之祐という若者を、明治天皇に祭り上げたというのだ。
 つまり慶応2年(1866年)、西郷木戸により薩長同盟が結ばれたとき、
  「北朝天皇を廃して、南朝天皇を立てる
 という密約があったのだという。
 しかも時の将軍・徳川慶喜も、実は南朝正統論者であった。(水戸学)
 そこで、「南朝天皇を立てるなら、江戸城を無血開城」、とまで同意したという。

筆者が、なぜこの説に説得力があるかというと:

 1) 南朝の「クーデター」と考えられる合理性
  公武合体論の孝明天皇が在位では、維新が不可能なことは明々白々。
  かつ、上記「謀略」を実行しようと思えば、実力行使で可能な状況だった。
  大目的の実現には、実行可能であれば暗殺すらする、…のが歴史だ。
  しかも将軍・慶喜まで密約を理解し、戦争を避けられるなら、なおさら…
  もし日本で内戦が拡大していたら、欧米列強の植民地になっただろう。
  薩長にはイギリスから、幕府にはフランスから、最新兵器が供給された。
  内戦を拡大させ、弱体化させて植民地化するのが列強の目的なのだ。
  (欧米列強の常套手段の一つなので、読者はぜひ覚えおき下さいね)
  つまり西郷・木戸・慶喜らの考えたことは、
   ・大規模な内戦は、植民地にならぬため、絶対避けねばならぬ。
   ・植民地にならぬため、封建国家から近代国家への維新が必要
   ・そのためには、孝明天皇の在位では維新は不可能。
   ・そのためにはこの際、正統な南朝系の天皇を立てようではないか。

 2) さまざまな証言と、東京遷都
  皇子である睦仁が突然すり変わったのだから、当然気付く人もいる。
  宮中でヤワに育った青白い皇子が、突然体格がよくなり相撲も強い。
  強行的にバレないようにするか、バレた場合、懐柔などもしたようだ。
  でもどうも京都にいてては、やりにくいし、限界がある。
  そこで考え出されたのが、東京遷都だ。
  東京なら皇室にとって新天地だし、江戸城を皇居に使える。
  「チョット江戸まで旅行してきます」
  これが当時とった作戦で…、そのまま江戸から帰ってこなかったのだ。
  本来遷都なら、遷都の儀式を行なうはずなのに、もちろん無し!
  すり替え説のみが、この状況を説明できる。
  そして江戸が東の京都、つまり東京都となったのである。
  だが「遷都の儀式」も無かったので、京都が今でも正式な都なのだ。
  東京の皇居は、旅行中のための仮の御所なのですよ (^_^)v

 3)明治の南北朝に関する教科書事件
  明治44年に、小学校の教科書の、ある記述が問題となった。
  それまでの教科書では、南北朝時代の南朝と北朝を対等に扱っていた。
  ところがそれが問題となり、文部省は南朝が正統とすると判断したのだ。
  そして北朝の天皇を、歴代表から削除することまで、指示したのだ。
  そもそも「公式な歴史」では、明治天皇は北朝系の皇統である。
  その明治天皇在位の時代に、南朝が正統だとは、あまりにも不自然!
  先述の如く、南朝クーデターを考える以外に、合理的説明は困難だ。

 4) 三浦天皇「事件」
  昭和20年の敗戦直後、
   『私こそが正統な南朝の天皇の血筋をひいている。
    北朝の今上(昭和)天皇は敗戦の責任をとり退位せよ。
    代わりに私が天皇に即位する』
  …と主張する、 三浦芳堅なる人物が突然現われた。
  三浦皇統家系譜によると、やはり南朝の後醍醐天皇の直系だという。
  その時代、愛知県の三州萩に落ち延びて、現在に至るという。
  (先の大室虎之祐=明治天皇は長州萩で、「萩」の共通点に注目)
  単なる世迷いの変なオッサンかもしれないのに、米軍はこの人を援助。
  全国を米軍の費用で講演して廻り、結構注目を集めたのだ。
   参考図書: 『天皇が十九人いた』 保阪正康 (角川書店)
  ところがある日から、三浦「天皇」は、自らその主張をしなくなった。
  そのある日とは、彼が皇居にのりこんで直談判した日、なのである。
  何でも、南朝クーデター成功済み、の話(と証拠?)で納得したという。

さて、「明治天皇すり替え説」は、いかがでしたか?
 かなりの「可能性」を感じたでしょう?
 でももしそれが事実だとしたら、少し「心配」が残りますよね。
 後醍醐天皇から大室虎之祐まで、約550年!もの歳月を経ています。
 本当に血統は大丈夫なのか?
 いや本当はNGだ、というマニアックな研究もあるようです。
 しかし、西郷・木戸・慶喜、それに三浦「天皇」まで納得したのだから…
 それに皇室のスタッフも、納得しないと付いていかないでしょう。
 だから一応大丈夫、ということにしておきましょう。
 それに日本人として、日本のアラ探しはこれくらいにしておきたいしね…


★★ アインシュタインの天皇観 ★★

ちなみに「国体護持」という言葉があるが、国体=天皇制と誤解してる人がいる。
 しかし本来の「国体」とは、天皇制を含めた日本人の「心の在り方」なのだ。
 天(自然)を畏敬して合掌し、自然と和して生き、正月は初詣、秋は収穫祭と…。
 その心の象徴が、祭祀王としての、天皇なのである。
 日本人としての国家とは、玉(天皇)を囲んだ「国」としての「家」族なのだ。

ところが終戦後、その日本人としての「心の在り方」が失われつつある。
 アメリカによる戦後教育の影響も大きいし、経済至上主義の蔓延などが原因だ。
 では戦前はどんな感じだったのか?、を知る良い資料がある。
 20世紀最高の科学者アインシュタインが、1923年に次のように語っている。
 少し長文だが、筆者はこれを読んでもらいたい気持ちを禁じ得ない。

あ、それと、アインシュタインはユダヤ人です。
 天皇が古代ユダヤ王朝の末裔かも、との説を知っていたのではないか?
 以下の文面から、それが示唆されているように筆者には感じるのだが…

アインシュタイン博士が語る (日本訪問時の大正12年11月17日)
 『近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違ったなにものかがなくてはならない。果たせるかなこの国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという国体を持っていることが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。
 私はいつもこの広い世界のどこかに、一ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、最後には闘争に疲れる時が来るだろうこのとき人類は必ず真の平和を求めて世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。
 その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。
 世界の文化は、アジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 我々は神に感謝する。神が我々人類に、日本という国を作って置いてくれたことを
 日本の家族制度ほど尊いものはない
 欧米の教育は個人が生存競争に勝つためのもので極端な個人主義となり、あたり構わぬ競争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみとなった。家族の絆はゆるみ、芸術や道徳の深さは生活から離れている。激しい生存競争によって共存への安らぎは奪われ、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独にしている。
 日本は個人主義はごく僅かで、法律保護は薄いが世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。この尊い日本の精神が地球上に残されていたことを神に感謝する。


( 後半の文で、「欧米の」を「現代日本の」に、置き換え可能かも…)

このメッセージを、心無い人は後で作文した偽物だという。
 日本訪問へのおべんちゃらだ、という人もいる。
 だとしても、スジが通っているではないか?
 しかも「アインシュタイン、神を語る」を読めば、彼の考えが理解できる。
 その彼の考えと、このメッセージの考えは、同じである。


★★ おわりに ★★

数年前、NHKの歴史番組で、徳川家康が子孫に残した「遺言」を紹介していた。
 たしか神奈川あたりのお寺か神社に、オリジナルが保存されているという。
 その「遺言」の中で、次のものがいちばん印象的だった。
  『世が大きく変わり、徳川の治世が適合しなくなれば、潔く退け』
 こんな内容でした。
 つまり家康は、徳川家の安泰よりも、日本全体の安泰を願ったのだ。
 明治維新のような新しい時代がくることを、予見していたわけです。
 やはり家康はスゴイと思いました。
 当然、最後の将軍徳川慶喜も、この訓戒を知っていただろう。
 江戸城無血開城の、大きな理由の一つだったに違いない。


【Repeat Messages】
●日本が800兆円の負債? ちょっと待った! 日本は世界一の債権国だぞ! 外国からの負債はない!
  では日本の負債の債権者は誰だ? それは日銀とその子分の金融機関だった! ★参照: ep1
●日銀は株式会社であり国の機関ではない。(その証拠にURLは私的機関を示す「or.jp」だ)
  日銀を国有化して、政府と国会が信用創造せよ! ★参照: ep2
●バブルとその崩壊は、日本を構造改革するため意図的に創られたのだ! ★参照: ep6, ep7
●聖書における天地創造の神はエホバ(ヤハウエ)ではない。天地は神々(エロヒム)により創られた、とある。
  アダムとイヴだけが最初の人類ではない。他の神々が創った人が存在した? ★参照: ep13

「月刊・沈黙の兵器」
★まぐまぐ!サイト: http://www.mag2.com/m/0000150947.html
★発行者のサイト: http://www.geocities.jp/akion200104/
★執筆者のサイト: http://www.geocities.jp/untilled/ (←バックナンバーが見やすいよ)

■次号の予定: 真説・歴史観(4)
■筆者へのご意見ご感想は: tin_moku@yahoo.co.jp メールチェックはあまりできませんが、よろしく…

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