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しばしば大きな無力感を感じる。周囲の「理解」を得られないからだ。
例えば先日、M政党の地域集会に参加する機会を得た。有権者40名ほどの小集会である。
衆議院議員K氏の活動報告などが終わり自由討論になると、参加者は必死にK氏に訴え始めた。曰く、「府市民税が上って大変です!」、「国民健康保険が高過ぎ!」、「ゴミ回収まで有料化されるとは!」、…等など。筆者も同様に生活が苦しいから全く同感だ。そこで筆者が発言…、
「こうした問題の本質を考えますに、 日本国の800兆円近い巨額の借金が緊縮財政や税負担を強いているのです。しかし日本は世界最大の債権国で、外国に貸してはいても、借りてはいません。ではこの巨額の借金は、一体誰から貸りているのか?、誰が債権者なのか?、実は債権者の
90%近くが、日銀を筆頭とした『国内の』金融機関です。この借金は、日本国内での『帳簿上』だけの問題なのです。それに金融機関の債権者は国民ではありませんか!、国民が最終的債権者なのに、逆に増税とはオカシイと思いませんか!」(このテーマは当メルマガ「1号」「2号」で取りあげました)
「あ、そういえばそうだ!」と反応があると思っていた…。
しかし、反応はゼロ…。筆者の発言が無かったかのように、別の話題(というか殆ど生活のグチ)に移っていく。
筆者は喰い下がるタイプなんで、再度挙手して発言。国会議員K氏に直接尋ねた。
「先ほどの私の発言にコメントを下さい」
K氏曰く、「おっしゃる通りだと思います。でも普通の国民の方々はそんな難しい話は理解して頂けませんよ」
にゃっにゃぁにぃ〜!?………(だったら国会でそれを言わんかい!)
周りの参加者の顔色を見廻した。あなた方には理解できないと言われてムッとしてるかと思いきや、これも無反応…。
閉会後、無力感に浸りながらトボトボと家路に向った。
しかし世の中、理解してくれる方は少数ながらいるんだよね!
「なんで屋」(ブログはこちら)のN君なんかは、ツーといえばカー、すぐに理解してくれた。(…と思う.ブログにまだ反映されてないけど…)
この「なんで屋」が面白い! 駅前などで露店を開いて、「世の中、なんでこうなるの?」という疑問に答える商売なのだ!
筆者もやりたくなってきた…(^^;
■■■ 旧約聖書が何故?■■■
今号まで何回か、新約聖書と旧約聖書の違いを取りあげてきた。
まだまだ語り足りないが、今号は少し焦って、ある「仮説」に入りたいと思う。
少し「マニアック」かもしれないので、日本の巨額な借金問題よりも「理解」が難しいかもしれない。
だが読者諸氏には、どうか今号の「仮説」の意味するところを「直観」して頂きたい。
ご存知のように、現代社会は西洋文明がメジャーである。
そして色んな問題が噴出している。
その西洋文明はキリスト教社会である、と言われている。
ではキリスト教とは?……現代社会の根源的な問題を含んでいる。
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★★ 聖書の成り立ち ★★
百科事典ウィキペディアによると:
『新約聖書の各書はすべてイエス・キリストとその教えに従うものたちの書であるが、それぞれ著者、成立時期、成立場所などが異なっている。そもそも初めから「新約聖書」をつくろうとして書かれたのではなく、目的や著者がばらばらな書物が集められ、まとめられて「新約聖書」が成立した。』
とあるように、明らかに新約聖書と旧約聖書が最初からセットであったわけではない。しかし、
『旧約聖書とは、新約聖書の『コリントの信徒への手紙二』3章14節の「古い契約」という言葉をもとに、2世紀頃からキリスト教徒によって用いられ始めた呼称である。しかし、「古い契約」とは単にモーセの律法契約を指すのではないかとする意見が散見されるようになり、また「旧約」という表現ではユダヤ教徒を刺激することもあって、最近ではユダヤ教聖書、ヘブライ語聖書とも呼ばれるようになった。』
のように、いつのまにか旧約聖書が「仲間入り」するのである。
それはイエスがユダヤ人であったし、旧約聖書の神エホバの御子であるから当然だ…、という理解で普通は納得している。
しかし本メルマガ「第13号」
「第14号」「第15号」「第16号」をお読みの読者ならご理解頂けるように、話は簡単ではない。
つまりイエスは律法=旧約聖書を批判した、だから殺された…とも読み解けるのである。
旧約聖書は徹頭徹尾神エホバと「契約」をした者のための教えであり、一方新約聖書のイエスの教えは万民の救済を目的としている。
さらに当時はローマ帝国である。そのローマ帝国が、ユダヤ戦争(西暦66年〜70年)
で滅ぼした元敵国ユダヤ(それ以前は元属国)の神エホバの聖典を、簡単に自分達の聖書とするだろうか?
一方「パウロの回心」
でも有名なように、ユダヤ側はイエスを磔刑にしただけでなくその後継者(つまりキリスト教徒)も徹底的に弾圧したのだから、ローマ帝国に暮らすキリスト教徒から見て、ユダヤ聖典を聖書にするなんてブラックユーモアではないか?
新約聖書には、イエスが律法(つまり旧約聖書)学者とパリサイ人たちを激しく批判した、ユダヤ長老会議=サンヘドリンはイエスを殺そうと決意した、ローマ帝国から派遣されていた総督ピラトはイエス処刑に反対だったが民衆の暴動を怖れて仕方なく黙認した、と書いてある。もっともこれは、時の権力者であるローマ帝国を悪く書けないから、史実であるか疑問視する見方もあるが、少なくともそのようにローマ人が「思っていた」ことは史実ではないか。
念のためもう一度言う。イエス処刑の真犯人がピラトなのかサンヘドリンなのかの史実論議は重要なことだが、立証不可能である。それよりも当時のローマ人が新約聖書を通じて、イエスを処刑したのはユダヤ側であると理解していたことは間違いない。それがユダヤ人迫害に繋がったとも言われている。
なのにどうして、ユダヤの聖典がキリスト教の聖書となり、それがローマ帝国の国教にまでなり得るのか?
またキリスト教のグノーシス派などはユダヤ教を否定して、神エホバを悪魔とまで考えるのであるから、エホバの聖典を聖書にするなど悪夢以外の何ものでもなかったはずだ。
ところが史実は、キリスト教会はユダヤ聖典を旧約聖書として正式採用し、逆にグノーシス派は異端として弾圧を受けることになる。
ユダヤ聖典がキリスト教の聖書となったことに、少しばかりは「不自然さ」を感じてもらえただろうか?
現代でもユダヤ教徒はイエスを救世主とは考えていないし(はっきり言えば反キリスト)、ユダヤ教徒の国イスラエルではクリスマスになってもお祝いムードは全くゼロである。街の書店に行っても新約聖書が売られていることは、全く無い。(イエスを救世主と考える少数のユダヤ教徒がいるが、「Jew
for Jesus」と言われ異端扱いされている)
一方、キリスト教徒はユダヤ教に一種の畏敬の念を抱いている(ユダヤ聖典が旧約聖書なのだから当然ですね…)。現にキリスト教徒の国アメリカは、ユダヤ教徒の国イスラエルにせっせと援助をしている。国連の安保理でイスラエルのために拒否権を発動するのも、いつもアメリカだ。
なんだかこの関係って「変」ではないか?
★★ 神エホバの逆襲 ★★
ユダヤ戦争によって、ユダヤ国家は西暦70年にこの地上から姿を消した。(1948年にイスラエルが建国されるまでは…)
そして神エホバは、イスラエル国家ごと、大量にその「信者」を失ってしまったのだ……
……とは、ならなかったのである!
※注) ある解釈では、イスラエル消滅も全能の神エホバの計画であって、それに関する「預言」が旧約聖書に存在すると主張する(英語で歴史という単語をHistory=His
Story=彼つまり神の物語というくらいだ)。確かに「解釈」によってはそのようにも受けとれるが、ここではそのような「神学論争」はしないことにする。
確かにユダヤ戦争によって、アブラハム・イサク・ヤコブの子孫、血統としてのユダヤ人は壊滅的な状態となった。
だがそのユダヤ戦争以前、すでにローマ帝国内にはユダヤ教会(つまりシナゴーグ)があった。つまり血統的にユダヤ人でない非ユダヤ人によるユダヤ教徒の存在(これは来月号のテーマの予定)である。また当時ローマ帝国は宗教活動に寛容だったので、それが可能であった。
百科事典ウィキペディアによると:
『パウロは、……ユダヤ人たちから何度も命を狙われたが、やがてアンティオキアを拠点として小アジア・マケドニアなどローマ帝国領内へ赴き、会堂(シナゴーグ)を拠点にしながらバルナバやテモテ、マルコといった弟子や協力者と共に布教活動を行った。』
とある。ユダヤ人に命を狙われながら何故、ユダヤ教会つまりシナゴーグを拠点にできるのか、かなり複雑な話ではあるが、それは置いておこう。
さて、ここで問題です。
貴方がもし、サンヘドリンの長老であったら、次のような状況下で、どのように考えるか?
・つまり、祖国イスラエルはローマ帝国との戦争により壊滅状態となった。
・そして、イエスを救世主とは認めないが、その教えのキリスト教がメジャーになってきた。
・さらに、表立っては自分がユダヤ教の長老であるとは言えない。(宗教に寛容とはいえ、敵国の宗教ですからね)
・ラッキーなことに自分は、ユダヤ戦争に直接巻き込まれず、ローマ帝国内で暮らしており、人間関係もある。
(Please take a thinking time for...5min.)
解答は……実はない。一緒に考えていきましょう。
だが「仮説」を用意した。
・仮説1) キリスト教の内部に入り込もう。(これを「マラノ」という)
・仮説2) キリスト教の聖書に、我々のユダヤ聖典を引っ付けてやろう。(これが旧約聖書)
・仮説3) キリスト教の中枢を支配しよう。(事実上の乗っ取り)
・仮説4) 祖国イスラエルを滅亡させたローマ帝国に復讐してやろう。(神エホバの逆襲)
だが、こんな大それたことが技術的に可能なのか?
でも「技術的に可能」なら、サンヘドリンの長老である貴方は、これを実現したくないか?
実現「したく」ないかどうか、イエスかノーで考えていただきたい。
そしてもし、この「仮説」が正しいとしたら、また技術的に実現できたとしたら、色んな「疑問」が氷解しないだろうか?
次の節で、この「仮説」が実現した一端をお見せしよう。
★★ キリスタン灯篭 ★★
それから千数百年が過ぎた西暦1549年、日本にキリスト教がやってきた。
そこでキリシタン灯籠、とりわけ織部灯籠をご存知だろうか?
織部灯篭の足元には、『Lhq』と彫られている。
オンライン辞書JAANUSでの解説にはこうある:
『On
the front of the stem, the letters IHS are carved together with an Lhq symbol.』
■筆者へのご意見ご感想は: untilled@yahoo.co.jp (メールチェックは週に1度くらいしかしませんが宜しく…)
/E