★月刊・沈黙の兵器 第00013号 '06/02/25 ★

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行きつけのスポーツジムで、骨硬度なるものを計ってもらった(いわゆる骨密度ではないが関連はあるようだ)。計測方法は、パソコンに繋がった計測台の上に足を乗せ、その足の甲をトンカチのようなもので軽く叩き、パソコンで分析するというもの。その日が骨硬度計測キャンペーンの最終日だということだったので、この機会は逃せない。
 インストラクターが計測値を用紙に書き込み手渡してくれたので、恐る恐る数値を見た。
 なぜ「恐る恐る」なのかというと、酒を毎日浴びるほど呑む筆者としては、骨はボロボロではないか?、と危惧していたからだ。現代医学の説によると、アルコールを分解するのにカルシュームCaを消費する、つまり大酒を呑めばCaが大量に消費される、だから骨は……。

用紙を見て「やはり!…」、と絶句した。筆者の骨硬度は225(Hz)と書かれていたが、下に示された「年齢における骨硬度標準値表」と対比しても、その数値範囲は大体200以下ばかり……、かなり標準を上回っている。苦しまぎれに筆者は言った、
 「う〜ん、悪いですねぇ…」
ところが、インストラクターからの言葉に耳を疑った。
 「とんでもない。信じられないくらい良いですよ」
 「えっ?、数値が大きいほどいいんですか?」
計測原理を聞いて納得した。骨を叩いてその振動伝播の周波数成分を分析する。硬度の高い骨ほど高い周波数成分を通すから、高い数値ほど硬い骨だと推定できるというもの。硬い骨は密度も高いとも推定できるという。
 筆者の目の前がパッ!、と明るくなった。
 年齢16〜20才ですら数値範囲は158〜212、インストラクター(20代後半?)は190、わが数値は225!
 その夜、筆者は祝い酒をした…(結局お酒でスミマセン(^^ゞ)

■■■ 旧約聖書の世界 ■■■

前号で今回の題目は「新約聖書と旧約聖書」と予告しましたが、新約との関係をいきなり述べるのはかなり拙速ではないかと思い直し、今回は順を追って、まず旧約を中心にとりあげます。
 この種のテーマは日本人にとってはマニアックで重たいテーマのようで、たいていの人は「退屈」するようだ。これで本メルマガの読者も減少する(?)可能性もあるが、世界の諸問題の本質を知ろうとする試みには不可欠のテーマなので、どうか頑張って考えていただきたい。
 ちなみに筆者は特定の宗教に偏る気持ちも無いし、特定の宗教団体にも入っていない。(ただし「霊友会」という宗教法人には所属しているが、単に先祖供養を目的としており、お墓や仏壇に手を合わせることと同じ次元である)

★★ ルーツとしての旧約聖書 ★★

旧約聖書は、次の大きな宗教のルーツとなっている。つまり、
 ★旧約聖書 + 新約聖書 = キリスト教
 ★旧約聖書 + タルムード = ユダヤ教
 ★旧約聖書 + コーラン  = イスラム教

ただし「旧約聖書」という表現はキリスト教独特のものであり、例えばユダヤ教では「トーラ」(狭義では律法つまりモーゼ五書)と呼ぶ。ただし日本人には旧約聖書と呼んだ方が分かりやすいので、本書では「旧約聖書」とする。

現在の世界人口約65億人のうち、キリスト教の信徒数が二十数億人、イスラム教が十数億人であるから(ユダヤ教は一千数百万人と少数であるが)、世界の約半数が旧約聖書の影響下にあるわけである。(ここではカトリックもプロテスタントもキリスト教とした)
 しかもご存知のように、現在世界を席捲している西洋文明はキリスト教がメインであるから、旧約聖書を研究する価値は極めて大きい。
 また本メルマガの当初で述べてきた「国際金融資本家」達は、基本的にユダヤ教であり、その影響力は一般の想像以上に絶大である。
 更に「世界最終戦争=ハルマゲドン」は中東を中心に戦われると言われており、9・11に代表されるイスラム原理主義は目が離せない。
 参考までに一部の神道研究家によると、日本神道の内宮の神は日本古来の「天照大神」であるが、外宮の「豊受大神」は外国から来た神でエホバ、つまり旧約聖書の神であるという説がある。(本メルマガで取りあげるとしたら数年後?)
 以上から今回のテーマが、いかに重要であるかをご承知いただきたい。

★★ イスラエル在住期間での「発見」 ★★

この号でお伝えする内容の中核は、旧約聖書の神エホバとエロヒムの区別である。これは本メルマガおよび聖書研究における最大のポイントの1つであり、筆者がイスラエル在住の期間に気付いたオリジナルの研究であり、筆者の知る限り同様の研究は他にない。(知らないだけで過去にあったかもしれないし、過去10年以上あちこちで筆者はこのことを主張して印刷物も配布してきたから、それをご理解いただいての同様の主張があるかもしれないが…)
 これはヘブル(ヘブライ)語の聖書を読まないと気付けなかった区別であり、日本語や英語で書かれた聖書をいくら読んでも永遠に分からなかったと思う。たとえばYさんという神父がいた。そこで彼の伝記だという本を読まされれば読者は、「Y神父は…、Yは…、神父は…」、と話が続けば、同一人物について語っていると思う危険性がある。つまり聖書を唯一絶対神の伝記であると思い込んで、「神は…、主なる神は…、主は…」、と読んだらどうなるかということである。

筆者は日本に帰ってから、このことをまず身近な人々に伝えた。しかし多くは無関心であった。
 またこの種の問題は気をつけないと冗談ではなく、物理的にも「get rid of」される可能性がある。最近ではムハンマドの風刺画騒動があるし、十数年前は日本においてすら東京の某大学教授が宗教関連の某外国著作を邦訳しようとしただけで、学内のエレベータにおいて某外国人と思しき集団により「get rid of」されてしまった……という事件が起きている。
 この種の問題で「新説」を唱えれば、危険すらあるということである…。

★★ エホバは唯一絶対神か? ★★

高校の倫理社会の教科書に、『キリスト教は、天地創造の神エホバを唯一絶対神とする教え……』とあった。
 この教科書に限らず、キリスト教の解説書には必ずそう書かれている。
 だが、ヘブル語の多少の知識をもって旧約聖書の原典であるヘブル語聖書を「素直に」読むと、こうした解説に疑問を感じる。
 原典から素直に解釈すると、こうなる:

 ★1)天地創造を為したのはエホバではなく、エロヒム(神々)である。
 ★2)エホバ神は、エロヒム(神々)の中の1つである。


さらに後の号で解説するが、新約聖書との対比において、
 ★3)イエス・キリストの父なる神は、エホバだろうか?
という大きな疑問が生じる。

これらのことが本当なら、基本中の基本、前提中の前提が崩れることになるではないか。
 具体的に解き明かそう。

★★ 「ALHYM」 と 「YHWH」 ★★

旧約聖書の有名な始まりは、こうある:
 『はじめに神は天と地とを創造された。』 (創世記・1章・1節、日本聖書協会訳・以下同)
英語版ではこうだ:
 『In the beginning God created the heaven and the earth.』 (SINAI PUBLISHING HOUSE・以下同)

ではこの『神』、『God』に対応する原典のヘブル語は?…、
 エロヒム、つまり「ALHYM」である。
 ここで、語尾の「YM」は複数形を意味する。
 ヘブル語のこの文法は厳格である。
 だから、ここでは『神々』と複数形で訳すべきなのである。

ちなみに「YM」の語尾を取り去った「ALH」はなんと読めるだろうか?
 アラー、もしくはアッラーだ。つまり、
 ★4)イスラム教の神アッラーは、エロヒムの単数形なのだ。

天地創造の神エロヒムが複数であることは、次の節からもわかる:
 『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、……』 (創世記・1章・26節)
 『And God said, Let us make man in our image, after our likeness: ……』

 (複数の神を連想させる表現は他にも多くある)

ところが(どう考えても素直でないと思うのだが)、聖書研究家による通常の解釈に従うとこうなる:
 『神を表現するのに「われわれ」という一人称複数形が用いられているが、もちろん複数の神々が存在するという意味ではない。神の威厳や尊厳を現わすのに複数形が用いられたと考えられている』 生田哲・「早わかり旧約聖書」・日本実業出版社
 『もちろん』とは、論理も解釈もあったものではない。
 複数形である「ALHYM」にせよ、「われわれ」にせよ、 自然な解釈なら複数形の「神々」ではないか。
 どうしてそんなに強引に単数にもっていきたいのか。

天地創造は終了する:
 『こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。……』 (創世記・2章・1〜3節)
 この天地創造終了までの「神」は、すべて「エロヒム」である。

この後やっと、神エホバが登場する。エロヒムによる天地創造のすべての作業が既に終わった後の、第2章の4節からである:
 『これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、』 (創世記・2章・4節)
 『These [are] the generations of the heavens and of the earthwhen they were created, in the day that the LORD God made the earth and the heavens,』


ここで日本語の『主なる』と、英語の『the LORD』に訳された原典のヘブル語こそが、
 エホバ、つまり「YHWH」である。
つまり日本語の「主なる神」は、原典では「YHWH ALHYM」を訳したものだ。
 だがこれは誤訳ではないのか?(英語訳も同様)
 なぜなら、ヘブル語では修飾語は被修飾語の後に来る。赤い花は花赤い、つまり FLOWER (of) RED の語順である。
 よって日本語に訳す場合、 ALHYM(神々)の YHWH という意味の方が自然である。
 また後述するが、 「YHWH」はこの神様の名前(固有名詞)であるから、自然な訳に従えば、「神々の一員のエホバという名の神」という意味になるのが妥当である。神は1つ、という大前提で考えるから、不自然な訳になるのである。
 旧約聖書では次の表のように3つの表現が使われる。これらをちゃんと区別して読むべきと考える:


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ちなみにヘブル語のスペルでは原則的に母音がなく子音だけで構成されているから、(例: バナナはBNNHと書く)
 「YHWH」には複数の読み方が存在する。
  (古代ヘブル語の発音は失われたため、本当の読み方は誰も知らない
  1) エホバ (最も一般的な読み方)
  2) ヤハウエ (われは初めより在るもの、というヘブル語にかけて用いられる場合の読み方)
  3) ヤーヴェ (蛇の神を意味し、本当の読み方はこれだと主張する説もある)
 ただしユダヤ教徒は「アドナイ」と読む。これはスペルからそう読むのではなく、神の名を軽々しく呼ばないという戒めからきている。

★★ アダムは全人類の祖か? ★★

話を、エロヒム(神々)の天地創造第六日に戻そう:
 『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』 (創世記・1章・27節)
キリスト教で一般に信じられている話では、最初は、男のアダムだけを創造したのではなかったのか?、これは
 ★5)アダムは「全ての」人類の祖ではない
 と考えれば説明できる。以下具体的に示そう。

エホバ神もエロヒム(神々)の一員であるから、天地創造には参加したようだ。 (2章・4節)
 だが人の創造に関しては、他のエロヒム(神々)と違ってエホバ神は、まず男のアダムだけ造り、その後に女のエバを造ったのである:
 『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。』 (2章・7節)
 『主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。』 (2章・22〜23節)

 女を男のあばら骨から造るとは、フェミニストが聞いたら気分を害するような話ではあるが、ここでは次の点が重要である。
  ・人の創造においてエロヒム(神々)は、男女を同時に造ったが、(第1章)
  ・エロヒムの中でもエホバ神は、まず男を造り、彼のあばら骨から女を造った。(第2章)
 つまり、エホバ神以外のエロヒム(神々)が造った人類が、地上に存在したことになる。
 天地創造の直後、アダム以外の人類が地上にいたのである。
 ちなみに、物語の自然な流れというか順番として、まず一般的な神々(エロヒム)の話を出して(第1章)、次に神々の中でも自分達が贔屓にするエホバ神(日本語訳では「主なる神」だが、筆者の意訳では「神々の中のエホバ神」)の場合はこうであったと述べて(第2章)、その後はエホバ神(日本語訳では単に「主」)についての話が中心に展開すると考えれば分かりやすいではないか。
 だから第4章あたりから、わざわざ「神々(エロヒム)の中の…」、とは断らず単に「エホバ神(主)は…」、となるのである。

話を進めよう。アダムとエバに子どもができる:
 『…彼女はみごもり、カインを産んで……その弟アベルを産んだ。…』 (4章・1〜2節)

ところが兄カインは弟を殺してしまう(アダム二代目でもう殺人事件…):
 『……彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。』(4章・8節)
この殺人事件をみて、エホバ神はカインを呼んだ:
 『主は言われた、……今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。……あなたは地上の放浪者となるでしょう。』 (4章・10〜12節)

もしアダムとエバが「全ての」人類の祖なら、子の2人兄弟のうち1人が死んだのだから、この時点で世界の人口はアダムとエバ、それにカインの3人だけのはずある。ところがこれと矛盾する言葉が続く:
 『カインは主に言った、「……わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。』 (4章・13〜14節)

あれっ!、やっぱり他にも人間がいるではないか? さらに続いて:
 『主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。……』 (4章・15〜17節)

なななんと!、よその土地へ行ったら、そこに妻となる女性が存在していたというのだ!!
 アダムとエバ以外に、人間がいたのは明々白々ではないか!
 ではそれらの人間の祖先は誰が造ったのか?……ここまで読まれてきた読者は、もうお分かりですね?
 エホバ神ではないエロヒム(神々)が造ったということです。天地創造第六日目に。
 そうなりませんか?
 複数の神々(エロヒム)の存在を認めることでのみ、創世記におけるこうした矛盾は説明できるのである。

★★ おわりに ★★

現代科学では、「神」とか「創造主」なんて概念はナンセンスであろう。
 ある意味、筆者もそう思っている。
 しかし現実は既述のように、旧約聖書の影響下にある人々は世界人口の半数以上である。
 歴史は、こうした人々の理屈抜きの「情念」で動いている。
 これらを無視することは、当然出来ない。

さて情念から一挙に「理屈」になって恐縮だが、筆者がイスラエルにいたとき、彼らにこう言った:
 『「1つの神」しか存在しない、とは論理矛盾ではないか?。「1つ」とは、「2つ」とか「3つ」を認めたから成立する概念、つまり数えられる場合だ。1つを認めれば、2つも認めなければならない。
 日本人は神を量子論でいう量子エネルギーのように考える。あるときは波のように数えられないし、あるときは粒子のように数えられる不可思議な存在だ。だから日本人は「八百万の神」と表現するのだ。』

 エホバを侮辱するのか!、と怒られると思いきや、彼らは妙に納得してくれた。
 また前号で述べた「ソクラテスの無知の知」の考え方も賛同してくれた。
 ユダヤ人は賢明な人が多い。

もしかして…、彼らはヘブル語を読めるのであるから、今回メルマガで書いた内容は知っているのかもしれない。
 でも彼らはエホバ神と契約したユダヤ教徒であるから、知っていても言わないだけなのかもしれない……


「月刊・沈黙の兵器」
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■次号の予定: 「旧約聖書(2)」

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/E