★月刊・沈黙の兵器 第00012号 '06/01/30 ★

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一昨年の春、「菊芋」というものを園芸店で1苗だけ買って試験的に畑に植えた。今静かに流行している健康野菜のひとつだという。
  やがて成長して筆者の背丈くらいにもなり、秋には菊によく似たきれいな花がその頭頂に咲いた。冬、全体が枯れたので土を少しだけ掘り返してイモを収穫した。そのとき大きいものだけを2〜3収穫して、小さいものは収穫せずにまた土をかぶせて元に戻した。
 すると次の春、また菊芋らしきものが勝手に7〜8本も生えてきた。そこでこの冬、全体が枯れたところで土を少しだけ掘り返してみてビックリした!……、狭い面積からかなりの量のイモが出てきたのである!
 写真を撮っていなかったので、http://saibai.kiku-imo.com/ のサイトから拝借させて頂きました(こうして会社のURLを宣伝しましたから拝借をお許しください…m(^^;m)。花の感じといい、収穫した量といい(携帯電話の色や形といい(^^;)、筆者のケースとほとんど同じです。

さてお味の方ですが、食べてみたら皆さんに好評です。生でもサラダにして食べれます。天ぷらもOKだし、聞いたところでは味噌漬けがおいしいらしい。
 これはひょっとして!、ということで書籍やネットで調べてみると、なななんとと言うか遂に出逢ったというか……。
 つまり放っておいても増えすぎて困るくらいの、筆者にとっては理想の作物?(放っているだけで作っていないのだから作物と呼べるかどうか疑問だけど…) だったのです!

実はここ数年、おコメに替わる主食となりうる作物を探してきました。まず試したのがトウモロコシ、でも筆者の地域では野生のサルが出没するので、せっかく作ったトウモロコシは全部サルにやられて全滅…。次にさつま芋、ジャガイモ、ソバなどを試しましたが、それぞれ何らかの問題がありました(長くなるので理由は省略)。
 そして遂に、ほぼ完全に放っておいても収穫できる主食となり得るものの発見か !?
 3年目くらいに「連作障害」があると書いているHPもありましたが、その問題の解決には自信あり!です。
 そこで今年は、この菊芋の栽培にある程度本格的に取り組んでみようと考えています。適宜これから本メルマガでご報告します。

ちなみにこの菊芋は北米が原産地で、かの大東亜戦争末期に栽培が奨励されたらしい。ところが戦後は栽培農家が激減して稀有となり、一方では日本各地で野生化して、猛暑の沖縄から極寒の北海道まで広範囲の山野に自生しているらしい。中国大陸では砂漠地帯でも生育するとのこと。これほど逞しく放っといてもたくさん収穫できて、美味しくて、観賞にもなる綺麗な花を咲かせる…、こんな素晴らしいものがどうしてあまり認知されてこなかったのか?

いずれにせよ人々が菊芋を「忘れ」てくれたおかげで、菊芋の野生は保たれたのかもしれない。
 本来、野菜は野生で存在したはずである。例えばトマトが南米で発見されたのは16世紀で、比較的最近のことである。菊芋は17世紀初頭らしい。
 つまり本来は「野生」で生きていた「野菜」を、人間が栽培するとなるとやたら過保護に扱った…、肥料はたっぷり、競争相手の雑草(という名の人間には不要の植物)を排除し、根が伸びやすいよう耕して土は軟らかく…、こんなことを繰り返していくうちに野生を失った軟弱な作物に変化させてしまったのではないか?

■■■ 耕さない農法(4) ■■■

長いイントロで言及した菊芋…、これを収穫するには当然ながら土をある程度掘り起こさなければならない。
 ところがこれは「耕す」行為に該当するのではないか?、だから耕さない農法、つまり不耕起農法の原理原則から逸脱しているのではないかとのクレームも、形式的には成り立つであろう。
 だがその類いのクレームは所謂「教条主義」というものであり、不耕起農法の「哲学」ではない。

★★ 不耕起農法 と 西洋文明 ★★

ガイア理論の提唱者 ジェームズ・ラブロック氏をご存知だろうか。20世紀を代表する科学者の一人とまで言われている。
 そのガイア理論とは、次のような仮説である:
  『バクテリアから人間にいたるすべての生命と、大気や海洋などの環境とが一体となって、機能し進化している地球。博士はこの地球の姿を動的に「ひとつの生命体」として捉え、ギリシア神話の地母神の名をとって「ガイア」と呼んだ。「ガイア」は、ディープエコロジーの端緒を開き、フロンやCO2問題などの地球環境を考えるためのキーワードとして広く浸透している。』

そのラブロック氏が日本にやって来て、地方で講演をした。参加者の多くは農家の方々であった。
 彼らの感想が面白い:
  「なんか(講演の内容は)当り前の話ばかりだったな。(ラブロック氏が)偉い人だか知らないが、昔からのワシら考え方と同じじゃないか…」
 西洋では20世紀を代表する科学者かもしれないが、日本ではフツーのオッサンの思想だったのである。

日本では当り前のガイア思想が、西洋では当り前でない理由は、旧約聖書にある。
旧約聖書・創世紀1章26節
 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」 (日本聖書協会訳・以下同様)

日本語で「(神が人に地を)治めさせ」ると言えば、なにか叡智溢れる天子が神明と徳をもって地を治めるようにも受けとれるので、筆者は日本聖書協会のこの訳が適当ではないと考えている。
 西洋人が読む英語の聖書では次のようになっている:
 And God said, Let us make man in our image, after our likeness: and let them have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over the cattle, and over all the earth, and over every creeping thing that creepeth upon the earth.
 [dominion]をEXCEED英和辞典からの検索すると、次のような結果がでる:
   n.統治権,主権(over);支配(over);所有権;
 つまり「治めさせ」ようではなくて、「支配させ」ようと訳すべきではないのか !?

一般的に、西洋文明は自然を支配する文明、と言われる理由はここにある。
 その教義が、旧約聖書にこのようにハッキリと書かれているのである。日本人には理解しにくいが、聖書に書かれているとそうしてしまう「原理主義」の力は大きいのだ。
 日本には本来このような自然支配の考え方はない。
 日本人は、八百万の神々のもとに「大和」するという、自然との融合が基本である。
 江戸末期に日本にやってきた西洋人たちが残した多くの日記が共通する点は、「町並みは清潔で糞尿の臭いがしない(この頃例えばフランスのパリは糞尿を窓から路上に捨てていた)、身分制度はあるが武士も町人も対等に接している、家族の絆が強く特に父親が子供を大切にしている、お花を愛し勤勉で識字率が驚くほど高い、高度な技をもつ職人が多い、農民は農作業に牛を使役するが大事に扱い、ましてや牛を殺して食べたりはしない、…などなど、総じてここ(日本)は地上の天国だ」、とまで書かれている。
 ところが、開国して西洋文明を受け容れたとたん、やれ戦争だの植民地支配だの…、となってしまった。大東亜戦争の敗戦後は特に工業化による公害が進み、農地は化学肥料や農薬漬けと化した。そして自然から「収奪」して飽くことがない。
 つまりこうした明治以降の日本の変化の根底には、西洋文明の「自然支配」の思想があるのである。
 そしてその「教義」の核心は、旧約聖書にあるのである。

また旧約聖書には次のようにも書かれている。
旧約聖書・創世紀2章15節
 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
旧約聖書・創世紀3章23節
 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

そうです。不耕起農法は西洋文明のアンチテーゼ とすることができるのです。
 このことの意義を考えてみてほしい。
 本メルマガ第3号に出てくる国際金融資本による結社イルミナティは、旧約聖書を土台としているのであるから…。
 (やっとここで農業の話が、本メルマガ第1号〜8号の政治経済の話と繋がってくるのである)

★★ 不耕起農法の哲学 ★★

不耕起農法は、1973年に福岡正信(伊予市)著 「無 … 最後の哲学」が出版されてから、世に知られるようになった。
 筆者はこの農法を、京都大学農学部教授・坂本慶一氏のエッセー「自然からの逃走」(京都新聞'73.11.10)で知った。
 それは、『無耕起・無肥料・無除草・無農薬・無剪定』とまさに「無」の一語につきる驚くべき農法で、しかも通常農法の2倍ほどの収穫があるという(注: 後に知ったのだが収穫量は坂本氏の「誤解」であり、これに失望したこともあった)。ではお百姓さん達の今までの苦労は何だ!?、大学で教える「農学」とは一体何だ!?、人間の知性の結晶であるはずの「科学」とは一体何だ!?。根底からの疑問に圧倒された筆者(当時学生)は、彼の農法を学ぶため1ヶ月ほど伊予市に滞在した。
 その頃から、彼の思想は“自然派活動家”達のバイブルとなる。
 彼の著書「無 … 最後の哲学」等は翻訳されて諸外国でも読まれた。
 その後、中曽根首相(当時)のテレビ対談があった。対談者の草柳氏が首相に、「私がヨーロッパを歩いていると、『あなたは日本人か?、日本人を見直したよ.フクオカの思想は本当にスゴイ!』、と絶賛するのです.総理は福岡正信という人物を知っていますか?」。中曽根首相は「知らない」と答えた。インドではガンジーと呼ばれ最高栄誉賞を、ギリシャではソクラテスに例えられ、フィリピンではマグサイサイ賞を受賞した栄えある日本人の名前を、わが国の首相は無知だった。
 その頃、既に「沈黙の春」が出版され、“大新聞”朝日には有吉佐和子の「複合汚染」が連載されていた…。

福岡氏の著作から、彼の思想を集約した詩を紹介しよう:

■「無の哲学」 (原点の原点)  福岡正信
 人間は無知である・・・・
   人は何を知りえているのでもない。
   人間の認識は成立しない。
   科学的真理の虚偽性、人智の空しさ、錯誤をまず知れ!
 一切の物は無価値である・・・・
   物に価値があるとみるか、人が物に価値づけたか、
   価値は、人間の虚妄の上に築かれた幻想でしかない。
   人は価値ある何物も所有しているのではない。
 一切の人為は無益に終る・・・・
   愚者は、為すこと多きを誇り、
   賢者は、為すこと無きを尊ぶ。
   "何もしないですむようにする"以外、
   人間が為さねばならぬことは、何もなかった。
 一切は無用であった。

こうした思想は「老荘思想」に近いものであるが、ここでは次の三賢人の言葉を挙げたい。

ソクラテスの言葉
 賢明なのは神のみであろう。人間は魂の「善さ」について吟味を怠っている。人間は独善的だ。しかも独善に対して盲目である。私は例外である。知識は僅少であるが、その事実を知っている。しかし、これこそ人間に相応しい知恵である。だから私は賢者である。私は、自分が"知らない"というたった一つのことを知っている

ルソーの言葉
 人間はすべてをひっくりかえし、すべてをゆがめ、奇形を、怪物を好んでいる。自然が作ったままでは何ひとつ気にいらない
 自然を観察するがよい。そして自然の示す道にしたがうがよい。

(ここで前出の坂本氏「自然からの逃走」より一部引用してコメント)
 このルソーの言葉にもかかわらず、現代人は自然界から切断された人工的世界の構築に熱中しつづけてきた。「自然からの離反と逃走」こそが文明人にとっての進歩なのである。
 早く出荷するために着色剤を、糖度を高めるために甘味液を散布し、外観を美しくするためにワックスでみがいたミカンは、もはや自然の果実ではない。
 いま、近代文明がつくり出した人工的世界は、地球上の生態系を狂わせ、人類自身の生存を脅かすまでにいたっている。「自然の尊重」「自然の回復」の声は高い。しかし、近代文明の原理(筆者注: つまり旧約聖書による自然支配の教義)を変革しないかぎり、文明人の「自然からの逃走」はなおもつづくであろう。

キリストの言葉 :(新約聖書・マタイ福音書6章26〜30節
  空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず倉に納めることもしない。けれども、あなたがたの天なる父がこれを養ってくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(中略) 野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の1つほどにも着飾ってはいませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこれほどに養ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。

同じ聖書でも、新約と旧約ではその思想が全然違うのである。
 次回は、その違いについて考えてみたい。

★★ おわりに ★★

不耕起農法を、「単なる農業技術の一つ」と考える人がいる。そして、その生産性とか作物の味とかを現代農法と比較する。もちろんこうした農業技術としての比較は大いに結構なことだ。
 あるいは少し進んで、「安全な農作物栽培技術の一つ」と考える人がいる。危険な食品が多いですからね。
 さらに進んで、「環境保全技術の一つ」と考える人がいる。不耕起農法は環境に負荷を与えるどころか、むしろ再生させる。
 しかし「技術」を超えたその背後にある「自然と融合する哲学」こそが、近代文明の原理をも変革しうる革命的思想であり、その生存すら危ぶまれている人類の希望の道標ではないだろうか。
 そしてその思想を理解して実践できる人々は、自然融合の大和思想、日本からこそ生まれてくる気がするのだ。


「月刊・沈黙の兵器」
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■次号の予定: 「新約聖書と旧約聖書」

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