***日本の歴史(概略)***

文責: 有川晴彦
参考: 小・中学校の日本史(PHP研究所)
松本政和氏フリーソフト
NHKそのとき歴史が動いた
その他



極めて簡単に日本歴史の各時代を纏めました。

第0段階 =国の始まり以前=

今からおよそ1万年前、気候が温暖になると、日本列島は大陸から離れ、現在のような姿になりました。
  そこでは狩猟・採集の生活が営まれました。紀元前3世紀頃に大陸から稲作や貴金属が伝わると、人々の生活は大きく変わりました。各地に「むら」ができるようになったのです。
  こうして人口が増えると、土地や水をめぐる争いが起こります。このような争いが繰り返され、強いむらが弱いむらを従え、しだいに「くに」と呼ばれるまとまりが生まれていきました。

超古代 (1万数千年以上前)
人類が最初に日本に居住しだしたのは数万年前で、当時大陸と陸続きだった樺太から移動してきたと考えられています。
 その後、朝鮮半島や南洋諸島からの移住があり、混血したと考えられます。
 最新の発見や研究により、日本の超古代にかなり高度な文明があったのではないか、と言われてきています。
 その代表例が:
  沖縄与那国島の海底遺跡
ですし、広島の葦嶽山(あの松本清張も現地調査した)などです:
  日本ピラミッド伝説
 しかし、正統な歴史学からは「無視」され、研究者も少ない。

・授業中の話題: 氷河の古い層から分かる1万数千年前の世界とは?

縄文時代 (採集文明)
この時代は、約1万年前から紀元前3世紀まで、約8000年ほど続きました。
 当時の人々は採集(ほとんどの遺跡にも貝塚がある)をしたり、狩りをしたり、漁をしたりして食料を手に入れました。網目の模様のついた縄文土器を使い、竪穴(たてあな)住居と呼ばれる住居に住みました。
 最新の発見や研究では、意外と高度な生活をしていたとの説も有力である。
 また初期には、当時の大規模な地殻変動から逃れるため、シベリヤ経由や南太平洋経由(当時の簡単な「いかだ」で移動可能なことは立証されています)でアメリカ大陸に多くが移動したとの説もある。

・授業中の話題: 南太平洋の洋上で食糧は? 最新のDNA研究ではどうか?

弥生時代 (農耕文明)
この時代は紀元前3世紀から紀元後3世紀まで、およそ600年間続きました。
 稲作が本格的に行われるようになり、飾りの少ない弥生式土器が使われました。また、青銅器や鉄器などが大陸から伝えられました。
 弥生人の大部分は大陸から移住してきた人々で、青銅器や鉄器の武具により縄文人を駆逐していったと考えられます。

・授業中の話題: 「倭」国(3世紀)のなぞ。禁断の古文書・古地図とは? なぜ「イ」か? 神武東征とは?

古墳時代 (国家のあけぼの)
4世紀から6世紀には身分の差が大きくなり、古墳と呼ばれる王や豪族の墓が作られるようになりました。
 特に大きな前方後円墳は現在の奈良県や大阪府に多く分布し、ここに地方の王の上に立つ大王(おおきみ)が存在したことを示しています。

・授業中の話題: なぜ学校の歴史授業は面白くないか? 歴史科の学生の悲哀……
           国家・家族・私有財産との関係が重要!


第1段階 =天皇を中心とした「国家」の建設=

7世紀になると、天皇を中心とした国の体制が整っていきます。
  そして701年、大宝律令の制定によって国を運営するしくみが完成するのです。
  役人には位が与えられ、その中でも有名な人々はやがて貴族となっていきます。
  9世紀になると貴族の藤原氏が力を伸ばし、天皇に代わって政治の実権を握ります。この頃には日本独自の文化が育ち、かな文字や女流文学作品などが生まれました。10世紀になると、地方では武士の勢力が目立つようになってきます。

飛鳥時代 (天皇制の確立と神道・仏教の両立)
6世紀になると、豪族の蘇我氏(そがし)の力が強大になってきます。
 この蘇我氏と手を結んで政権を握ったのが聖徳大使です。太子は女帝の推古天皇を助け、天皇を頂点とする国家の仕組みを整えようとしたのです。
 この頃は仏教を中心とした文化が栄えました。
 一方、日本古来の宗教である神道は、物部氏・・・
 609年、東アジアの最先端の技術を駆使した日本最初の仏教寺院が完成した。飛鳥寺である。建立したのは蘇我馬子。聖徳太子とともに飛鳥時代初頭の国政を指導した豪族である。馬子の時代、倭国と呼ばれた日本は、東アジアの国々と交流を深め、その進んだ文化を目の当たりにしていた。倭国を東アジアの先進国と肩を並べる文明国へと飛躍させるため、馬子は、大陸の国々に広まっていた先端文化である仏教の導入を推し進め、そのシンボルとして飛鳥寺の建立に力を注いだのである。
 しかし、馬子の前には日本古来の神々を信じる大きな勢力があった。その先頭にたつ豪族・物部守屋と、馬子は熾烈な内戦を繰り広げる。さらに中国に出現した巨大王朝・隋の脅威が、倭国に押し寄せてきた。馬子は、数々の試練を克服し、20年の歳月をかけて飛鳥寺を完成させる。それは、古代日本が世界に開かれた文明国に飛躍する第一歩になった。

 645年大化の改新672年壬申の乱で、天武天皇が初めて「天皇」という呼称を「発明」する。
 つまりここで初めて、歴代の大王(おおきみ)は「天皇」と呼ばれるようになる。

・授業中の話題:
 日本国の天皇とは? 世界の他国の国王・皇帝・君主とどう違うのか?
 世界のVIP序列。偉い・強い・豊か、と尊い。地位・名誉・権力・富、と権威、神聖。
 (ブッシュ大統領、米軍、小泉首相、横綱、ビルゲイツ、ノーベル賞受賞者、エリザベス女王、ローマ法王)
 神社に初詣します?。狩猟民族と農耕民族。天と地とチャネラー(自然との融合)。
 天皇のお「仕事」ってあるの?。大晦日に…。まつりごと(政治と祭り)。国「家」。
 天皇がいなければ、明治維新、および太平洋戦争(特に戦後)はどうなった?
 皇暦? 男系天皇? 万系一世?
 604年聖徳太子制定の十七条憲法は、日本人の特徴がよくでている。
 (明治天皇「五箇条のご誓文」と比較すると面白い)

奈良時代 (仏教による政治の確立)
710年に、都が飛鳥地方から奈良の平城京に移されます。
平城京は唐の都長安(ちょうあん)にならってつくられ、東西4.3Km、南北4.7Kmの規模をほこり、中央には巾70mの朱雀大路(すざくおおじ)が走っています。都から地方へは官道が整備され、国司(こくし)が派遣されました。

・授業中の話題:: 奈良の大仏さんは、当時の世界最高の技術!

平安時代 (貴族の時代)
都が平安京に移されたのが794年で、それ以降の約400年間を平安時代と呼びます。貴族の藤原氏が天皇に代わって政治の実権を握り、生活や文化の日本化が進みました。10世紀には社会不安が広がり、浄土信仰(じょうどしんこう)が貴族の心を捉えるようになります。

・授業中の話題: 世界最古の女流文学!


第2段階 =武士の時代=

源平の争いを制した源 頼朝が1192年に鎌倉に幕府を開き、このときから本格的な武士の時代がはじまります。その鎌倉幕府も13世紀後半の元冦(げんこう)後には衰退し、足利氏の政権がこれにとって代わります。その足利氏の室町幕府も1467年の応仁の乱を境に混乱し、戦国時代へと突入するのです。この100年にわたる戦乱の時代を鎮めたのが、信長、秀吉、家康の3人です。最後に天下をとった家康は江戸に幕府を置き、260年の長きにわたる長期政権の基礎を築きました。

鎌倉時代
1192年、源 頼朝は征夷大将軍に任じられ、鎌倉に武士の特権が誕生します。13世紀になると、実権は頼朝の妻政子の実家である北条氏(ほうじょうし)に移ります。
この幕府も元冦(げんこう)後には衰えをみせ、1333年には足利尊氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)らによって滅ぼされてしまいます。

授業中の話題: なぜ武士が誕生したか? 荘園とは何か? なぜ天皇は存続したのか?

室町時代
鎌倉幕府が滅亡した後、約60年にわたって大規模な内乱が続きました。
これを足利義満が治めました。義満は京都の室町に大邸宅をたてて政治を、行っています。
この時代には茶の湯や生け花など、今日の日本文化の基礎が築かれました。

授業中の話題: 征夷大将軍とは?

戦国時代・安土桃山時代
応仁の乱以降、一揆や戦乱が約100年も続きます。身分が下の者が上の者を 倒す、下剋上(げこくじょう)の風潮が広がっていきました。16世紀半ばになると、この戦乱状態に統一のきざしがみえてきます。
信長の後を引き継いだ秀吉によって天下は統一されるのです。

・授業中の話題: 鉄砲保有量がすぐに世界最大に!

江戸時代
秀吉の死後、1600年の関ヶ原の戦いに勝った徳川家康は、1603年に江戸幕府を開きます。
幕府は統一政権として、全国の4分の1の土地を押さえ、巧みに大名の統制を行いました。こうして、江戸幕府は260年あまりも命脈(めいみゃく)を保つのです。

・授業中の話題: なぜ幕府は鎖国をしたか?
 http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2000_08.html#03
 http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_01.html#02
 http://www.ntv.co.jp/sekaju/student/20061216.html
 http://www.geocities.jp/untilled/ep41.htm
・その頃世界は?
 http://www.geocities.jp/untilled/ep42.htm
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89


第3段階 =近代工業化と国際化=


江戸の鎖国体制も、1853年のペリーの来航で破られます。江戸幕府に代わった明治政府は中央集権の体制を築き、欧米に追いつき追い越すことを目標に国家主導型の近代化を進めました。このような動きの中で、日本人の間にはアジア蔑視(べっし)風潮も生まれ、それが軍国主義と結びついて朝鮮、中国への侵略を引き起こします。日本は満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争と泥沼の戦争状態に突入し、1945年8月15日に敗戦を迎えました。ここから日本の戦後改革がはじまりました。

・授業中の話題: ペリー来航の以前にアメリカは2度も公式外交を迫った。そこで学んだことは?(→NHK資料
・推薦図書: 「あやつられた竜馬明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン (祥伝社)
・幕末に来日した外国人が日本を「天国に最も近い地上の楽園」と賞賛したが、明治政府のプロパガンダは?

明治時代
ペリーの来航で江戸幕府は開国を余儀なくされ、1868年には新しい政府が成立します。新しく成立した明治政府は国家主導型の近代化を進め、大日本国憲法など諸制度を整備します。
そして、日清・日露戦争後は大国の仲間入りを果たすまでになるのです。

大正時代
1914年に第一次世界大戦が起こると、日本からは軍需品(ぐんじゅひん)の輸出が急増します。
この好景気に成金がうまれます。その一方では物価の上昇を招いたために、米騒動が起きています。民主主義から国家統制へ急転換したのが、この大正時代でした。

昭和時代
昭和は不景気からはじまりました。1929年(昭和4年)には世界恐慌(せかいきょうこう)が起き、その影響は深刻でした。
このような状況を打破するべく、日本は朝鮮・中国に進出し、それが欧米諸国との対立を招きます。

敗戦後に、日本は経済中心の奇跡的な復興を果たします。

参考資料: 世界史年表